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2018年(平成30年) 11月25日(日)付紙面より

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山戸能と山五十川歌舞伎

 鶴岡市山五十川に伝わる県指定無形民俗文化財「山戸能」と「山五十川歌舞伎」の上演が23日、同地区の山五十川公民館で行われ、集落内の子どもや青年ら地元役者による熱演が繰り広げられた。

 山戸能は、地元に伝わる書物によると、866年ごろの起源という。その後、鶴岡市黒川からの移住者が多くの演目を伝え、そのうちの9番が現在も演じられている。一方、山五十川歌舞伎は、江戸中期の宝永年間(1704―11年)、神事にまつわる村芝居として始まったとされる。一集落で能と歌舞伎の両方が受け継がれている例は全国でも珍しく、1964年に能、86年には歌舞伎がそれぞれ県の無形民俗文化財に指定された。

 現在は山五十川古典芸能保存会の下、山戸能一座(三浦市樹座長)と山五十川歌舞伎一座(尾上菊之丞座長)がそれぞれ伝承。毎年この時期に同地区の河内神社秋祭典の献納上演を行っている。

 この日は、交流のある鮭川歌舞伎保存会も招待し、観客300人余の来場で満席。能の「座揃囃子」で幕開けし、子どもたちによる稚児舞「恋慕の舞」、五穀豊穣(ほうじょう)の祈りを込めて種をまくように舞う「式三番」、大酒飲みの霊獣・猩々(しょうじょう)の優美な舞が見どころの番能「猩々」と続いた。歌舞伎の演目は源平合戦の「一ノ谷の戦い」をモチーフにした「一谷嫩軍記・熊谷陣屋の場」。主君の命でわが子を犠牲にした熊谷次郎直実の涙を誘う迫真の演技が繰り広げられた。

山五十川歌舞伎の一場面。地元役者たちの熱演で満員の会場を盛り上げた
山五十川歌舞伎の一場面。地元役者たちの熱演で満員の会場を盛り上げた



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