2019年(令和1年) 7月26日(金)付紙面より
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出羽三山の“信仰の道”にスポットを当てた企画展「修験道中膝栗毛(しゅげんどうちゅうひざくりげ)」が、鶴岡市羽黒町手向のいでは文化記念館で開かれている。羽黒山の中興の祖・第50代別当天宥(てんゆう)が手掛けた道づくりや江戸時代の三山詣での隆盛を伝える貴重な史料を展示している。昨年に新潟県内の寺院で見つかった出羽三山の開祖・能除太子(蜂子皇子)の7体目とみられる像も県内初公開している。
天宥は江戸時代の参詣ブームの黎明(れいめい)期に、参詣者の増加を進めるため羽黒山の石段参道や女性参拝のための女人道を整備し、羽黒山、月山、湯殿山の参詣ルートを設定するなど出羽三山詣での道づくりに尽力。月山と羽黒山を天台宗に改宗し江戸幕府の守護を受け、信仰と行楽が一体となった修験の理想郷「羽黒山寂光寺」の完成を目指した。そうした天宥の事業や高僧天海との関わり、江戸庶民に信仰ブームを巻き起こした生き仏様・於竹大日如来のお竹信仰、三山の案内役を担った羽黒山伏などについてパネルで分かりやすく解説し、江戸時代の関連史料を中心に五十数点を展示。
県内初公開となる能除太子像は、新潟県村上市の大伝寺に安置されていた高さ約70センチ、幅約50センチの座像。ガラス製の玉眼の特徴から江戸期のものとみられる。能除太子像はこれまで県内で5体、岩手県で1体が確認されている。
「東照大権現(一品公辨親王筆)」の掛け軸や、蒼御紋が彫られた「東照宮経机」(いずれも出羽三山歴史博物館蔵)、日光山から羽黒山東照宮に寄付された散華供養に用いる「華籠(けこ)」(荒澤寺正善院蔵)などは羽黒山が江戸幕府の守護を受けていたことを物語る史料。このほか、羽黒山の全容を描いた「羽黒山絵図」(文政13年)、於竹大日如来と信仰を広めた玄良坊の姿が描かれた「於竹大日如来図」部分(玄良坊蔵)、湯殿山真言四カ寺の一つ金色山大日寺の「華鬘(けまん)」(塩田行屋大師堂像)など貴重な史料が訪れた人たちの目を引いている。
企画展は11月25日(月)まで。入館料は400円、高校・大学生300円、小・中学生200円。火曜日休館(7、8月は無休)。