2018年(平成30年) 5月3日(木)付紙面より
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酒田市松山地域で1日、中山神社の例大祭「松山まつり」が行われ、ともに市指定無形文化財の「武者行列」と「松山藩荻野流砲術」の演武が見物客を魅了した。
同神社は、江戸前期の正保4(1647)年に酒井忠恒公が初代藩主となって庄内松山藩を立藩した翌慶安元年に創建された。その後、同家は庄内藩祖・酒井忠次公と、徳川家康の嫡男・信康公を祭るために社殿を造営。武者行列は宝暦7(1757)年ごろから、祭典の神輿(みこし)が市中を巡る際、警護したのが始まりとみられている。旧松山町が1986年、無形民俗文化財に指定している。
今年は、東部中の生徒63人と氏子ら約110人が参加。午後1時ごろに同神社を出発し、太鼓の音に合わせ、鉄砲組や弓組、足軽組、侍大将ら甲冑(かっちゅう)武者が、松山歴史公園や仲町など松山地域の中心部約4キロを約3時間かけて練り歩いた。歴史公園内の松山城大手門(県指定文化財)を通る際は特に絵になるとして、大勢の見物客が詰め掛け写真を撮っていた。
一方、荻野流砲術は江戸前期の寛文元(1661)年、明石藩の荻野六兵衛安重が創始した流儀で、形や隊列が厳しく、実戦向きとされる。庄内松山藩の藩士だった山本丈右衛門が文化5(1808)年に免許皆伝を受け地元に広めた。明治以降は中山神社例大祭の武者行列で演武していたが、戦後は火薬使用の規制強化で中断。松山藩荻野流砲術伝承保存会が1998年、同藩350年祭に合わせて復活させた。旧松山町が2003年に無形文化財に指定している。
この日の演武は午前11時から、松山歴史公園の芝生広場で行われた。保存会の小田和夫会長の「構え、放て」の号令の下、隊員8人が「立放ち」「腰放ち」などを次々に披露。ごう音と火花とともに白煙が立ち上り、大勢の見物客が「すごい」と歓声を上げていた。