2007年(平成19年) 6月26日(火)付紙面より
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「第6回全国藩校サミットin鶴岡」で庄内を訪れた熊本県の来訪団が24日、鶴岡市丸岡の天澤寺で加藤清正公の法要や墓碑などの見学を行った。
戦国時代の勇将・加藤清正公は肥後守(ひごのかみ)熊本54万石の大名で、知・仁・勇の三徳を兼ねる名将として知られ、「虎退治」などの逸話が有名。また、大阪城や名古屋城、熊本城を築城し、「清正石垣」と呼ばれる構築法を残し、現代でも武運長久や治水土木の神様と信仰されている。
清正公の死後、嫡(ちゃく)男の忠廣公は江戸幕府からいわれのない罪を着せられ、現在の丸岡へ流されて生涯を閉じた。天澤寺は「加藤家ゆかりの地」「清正公が眠る菩提寺」と伝えられ、毎年7月下旬に清正公大祭を開催して供養と家内安全などの法要が行われている。
熊本来訪団メンバーは、熊本県の藩校時習(じしゅう)館研究者や加藤家家老の子孫たちでつくる団体など約30人で構成。今回の藩校サミットに合わせて熊本来訪団の天澤寺訪問が実現した。
来訪団は同寺で法要を行った後、荘内日報論説委員の東山昭子さんが作詞琵琶(びわ)曲「風雪丸岡 加藤清正公祭」を、錦心流琵琶一水会鶴岡支部長の市川石水さんの演奏で聴いた。
続いて清正公の遺骨が納められている五輪塔覆堂や、丸岡城址跡の発掘現場などを見学。その後は近くの丸岡コミュニティセンターで昼食を取りながら、地元の遺跡顕彰会と懇談した。
来訪団副団長の荒木章博さんは「熊本から遠く離れた庄内で、清正公を手厚く祭っていただいていることにお礼を言いたい。清正公を熊本で知らない人はいないが、忠廣公の流された先を知る人はごくわずか。加藤家ゆかりの人たちを天澤寺へ連れてくることができてうれしい」と話していた。
清正公ゆかりの天澤寺を見学する熊本来訪団のメンバー