2007年(平成19年) 10月04日(木)付け紙面より
国が道路整備の中期計画の策定作業を進める中、東北地方の市町村が一丸となって国道整備の必要性をアピールしようという「みちのく国道駅伝」が3日、酒田市をスタートした。主要都市の首長らが1週間かけて東北6県を自動車でリレーし、東北全域の市町村長から寄せられたメッセージを国土交通省東北地方整備局長に伝達する。
このアピール行動は、東北地方の大半の市町村が加盟する「東北国道協議会」(会長・阿部寿一酒田市長、加盟216市町村)が初めて主催した。「真に必要な道路」として整備すべき道路をピックアップする中期計画の策定作業が進む中、高速道路を含む東北地方の道路の必要性、緊急性を関係方面に訴えるもの。
同協議会役員となっている酒田、秋田、青森、盛岡、宮古、大崎、山形、福島、郡山、いわき、仙台の11市の首長と職員が3日から10日まで8日間をかけ、この順に巡る約1330キロのコースを自動車で巡り、「みちのく国道駅伝」と書かれたタスキと、寄せ書きの布をリレー。「道路は命をつなぐ道」などと書かれたステッカーやのぼりでアピールし、加盟市町村の団結を確認する。
初日の3日、酒田市役所わきの希望ホール前で行われた出発式で、阿部酒田市長は「東北地方の道路整備の必要性が中央に伝わっていないのは残念。その状況を打破するため、駅伝のように思いをつなぎたい。道路は命を運ぶという思いを伝えていこう」とあいさつ。寄せ書きの布に「道路予算のシーリングを撤廃し地方が真に必要な道路の整備促進」と書き込んだ。その後、職員6人とともに自動車2台に乗り込み、次の中継地の秋田市役所に向かった。
最終日の10日には、阿部酒田市長ら協議会役員が東北地方整備局長に、加盟全市町村長から寄せられたメッセージと役員による寄せ書きの布を伝達し、道路整備の必要性を訴える予定。
出発式で寄せ書きを行う阿部市長。後ろは加盟市町村長からのメッセージ
2007年(平成19年) 10月04日(木)付け紙面より
鶴岡市大山地区で江戸時代に起こった「大山騒動」の中心となり、厳罰に処された農民らの供養塔の案内説明板が、大山二丁目の銅片町集会場敷地内に建つ供養塔わきに設置された。13日には設置に携わった地元有志たちが竣工を祝うとともに、しのぶ会を開いて「愛郷の義民」と語り継がれてきた5人を供養する。
大山騒動は今から163年前の弘化元(1844)年に発生した。庄内地域の大山、余目、丸岡(鶴岡市櫛引地域)の幕府領を庄内藩の管理とする幕命が発端となり、当時の大山村の造り酒屋で名主の鈴木庄兵衛、田中三郎治、墨井寛兵衛(加賀屋弥左衛門)などが中心となって阻止運動に立ち上がった。農民らは幕府・老中への嘆願などを行ったが願いは届かず、やむなく秋田・由利、飽海地方の幕府領73カ村の農民数千人による一揆へと発展した。しかし、農民の敗北に終わり、弥左衛門と三郎治は獄門、庄兵衛らは遠島など約3500人が処分を受けた。弥左衛門ら重罪の5人は江戸で相次ぎ牢死したといわれる。
騒動はその後、長く封印される形となったが、地元・大山では密かに「愛郷の義民」としてたたえ、語り継がれてきた。幕藩体制が崩れた明治期初頭には、大山地区の有志が庄兵衛、弥左衛門、三郎治、九兵衛(姓不詳)、喜兵衛(同)5人の供養塔を銅片町(現大山二丁目)の金注連庵(現銅片町集会所)に建立。観音講を開き弔っていたが、廃庵後は供養塔と5人のことは忘れ去られていた。
こうした中、騒動や義民について後世に伝えようと、大山文化財を愛する会や鶴岡市文化財愛護協会が説明板の設置を計画。地元有志の寄付や市の補助を受け、供養塔周囲を整地してこのほど完成した。高さ約1・5メートル、幅約1・8メートル。5人の名前と戒名、騒動の内容、「愛郷ノ志ヲ懐キ身ヲ犠牲ニシテ身命ヲ厭ハザルノ功ヲ尽シ」とした観音講「万世名誉保存集」の内容を記している。
設置に携わった同愛する会の日塔哲之会長は「騒動の結果はどうあれ、大山が一つになったパワーと郷土を愛して運動を起こした先人の思いを知ってもらいたい」と話している。
13日は、午前10時半から供養塔と説明板が建つ銅片町集会所で竣工式を行った後、午前11時から大山コミュニティセンターでしのぶ会を開く。鶴岡市史編さん会委員の前田光彦さんが「大山騒動とその評価」の演題で講演する。
大山騒動の義民供養塔(右端)と案内説明板