2008年(平成20年) 6月4日(水)付紙面より
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鶴岡市日枝の上山王日枝神社(田村哲夫宮司)で3日、例大祭が行われ、同神社で長く保管し修復された庄内藩主酒井家奉納の火縄銃による演武が披露され、神社境内に百数十年ぶりの号砲が響いた。
同神社は、用明天皇時代の585年に東北鎮護のために祭られたと伝えられる。1611(慶長16)年に最上義光によって再建され、現拝殿は1843(天保14)年に建立された。
火縄銃は明治初期、鶴ケ岡城解体時に庄内藩主・酒井家から奉納された。1986(昭和61)年に拝殿の屋根を茅葺(ぶ)きから銅板に葺き替えた際、屋根裏に8丁保管されていたことが判明。1876(明治9)年の焼印が押されていた。氏子の古老によると、先の大戦が終わった折、米軍からの接収を逃れようと屋根裏に隠したままになっていたという。また、同神社拝殿には、日本でも数枚しかないという火縄銃を撃っている様子を描いた絵馬が掲げられている。
2004年8月の荘内大祭で、庄内松山藩荻野流砲術伝承保存会(現酒田市無形文化財)による奉納演武が行われたのをきっかけに翌年、本家の庄内藩に荘内藩荻野流砲術隊が結成された。
これを受け、同神社の氏子たちが「由緒ある火縄銃をこのままにせず、地域の宝として広く知らせ、残していきたい」と、上山王日枝神社火縄銃他保存会(五十嵐寅吉会長)を組織。火縄銃8丁のうち、これまで5丁を修復、今年の例大祭での奉納演武を実現させた。
演武では、荘内藩荻野流砲術隊の五十嵐繁康隊長が、日枝神社保管の5丁を1丁ずつ撃ち初めして修復を祝った。続いて同砲術隊員6人が号令の下、「立ち」「膝」「腰」の構えで点射、斉射を披露。境内広場には氏子や近隣から見物客が大勢訪れ、ごう音が響くたびに拍手を送っていた。
上山王日枝神社境内に号砲をとどろかせた荘内藩荻野流砲術隊の奉納演武
2008年(平成20年) 6月4日(水)付紙面より
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酒田地区の青年経済人らが、地元への企業誘致のために行動を起こそうという「さかた青年経済人企業誘致プロジェクト」が2日、成立された。通常の企業活動をベースに、情報収集や企業訪問などで誘致を働き掛け、地域経済の活性化につなげていく。
資源リサイクルなどを行っている同市の第三セクター「酒田港リサイクル産業センター」の加賀谷聡一社長らが発起人となって、今春から設立準備を進めてきた。雇用情勢が県下でも厳しい情勢にあり、企業誘致や雇用拡大が大きな課題となる中、市や酒田商工会議所と連携して企業誘致体制を構築するもの。
設立時のメンバーは、発起人の呼び掛けに応じた市内の若手経済人ら11人。市商工港湾課企業誘致対策室に事務局を置き、手弁当で活動経費を捻出(ねんしゅつ)しながら、主な活動として、▽通常業務の中での対象企業へのアプローチ、情報収集▽対象企業への訪問、酒田の立地環境のPR▽現状の課題や制度などに関する勉強会―などに取り組む。
この日、酒田産業会館で開かれた設立会にはメンバー10人と、オブザーバーとして市商工港湾課、酒田商工会議所の関係者らが出席。規約を承認し、役員選任で、会長には加藤聡さん(加藤総業社長)、副会長に加賀谷さん、顧問に林有一郎さん(酒田商工会議所産業政策委員長)を選出した。
本年度事業計画としては、すぐに企業訪問や情報収集などの行動を起こし、8月には誘致企業代表者を招いた意見交換会、11月には誘致関連企業の視察などを行う。
意見交換の中で、林顧問は「文句は言うが、自分から動く人は少ないのが現状。どうすればいいのかは実は、みんな知っている。勉強会で終わらせず、行動を起こす会にしよう」と呼びかけた。そのほか、メンバーからは「どのような工業団地に仕上げていくかを考え、業種を絞ってアプローチすべきでは」「大企業の場合は土地を無償提供するなど臨機応変に」などの意見が出た。
酒田商工会議所は昨春、首都圏の地元高校同窓会会員らによる同様の「酒田ビジネス大使ネットワーク協議会」を立ち上げており、連携して誘致を図る。
青年経済人らが企業誘致に向け行動を起こすことを申し合わせた設立会