2010年(平成22年) 03月17日(水)付け紙面より
この先は気力と体力次第
行商を支えて
鶴岡市末広町のJR鶴岡駅に近い田川地方行商協同組合。まだ夜が明けきらない午前4時にシャッターを開けたのは、同市日吉町で食料品店を営む斎藤正一さん(78)で、40年余も続いている。斎藤さんが車から50種類もの食品を取り出して素早く陳列台に並べ終えるころ、車に相乗りしたあばたちがやって来る。あばたちの、1日が始まる。
斎藤さんは同行商協同組合の組合員ではなく、協力会員。あばが売り歩く主役はもちろん鮮魚だが、乾物、佃煮、総菜類を欲しがる檀家も多い。斎藤さんはそうした食品を届け、あばの行商を支えてきた。
「保存が利くといっても仕入れから日数がたったものは売ることはできない。毎日馬場町の市場で仕入れる。私が扱っているのはあくまでも付録」と話すが、斎藤さんのような協力会員の存在なくして、あばの行商は成り立たなかった。
あと2年か3年
県庄内保健所生活衛生課によると、庄内地方の行商人登録者は2010(平成22)年3月時点で41人まで減った。このうち、同行商協同組合の組合員は約半数だけ。数百人の行商人がいたころ、「魚介類行商登録票」の更新時期になると、同保健所の職員が県漁協支所に出向いて業務し、更新手続きをしたこともあった。それも今では夢の話になった。
あばの人数が減り、同組合の維持が難しくなってきた。今春開いた組合員の集まりで、あと2年間(12年まで)は組合を存続させ、さらにもう1年延長するかどうかは、その時点であばたちの気力と体力と相談して判断することにした。いずれにしろ、組合の土地売却と組合を解散することだけは決定した。
今の人数で組合を維持していくには、個人に重い負担がのしかかる。五十嵐義治理事長(50)は「平均年齢は75歳になり、週の半分しか行商に歩かない人も増えた。稼ぎが少ないのに負担だけが増えるのではやっていけない。つらい決断だが、解散せざるを得ない」と話す。
自分の鮮度も担ぎ
鶴岡市上郷出身の村上文明・元関東学院大学教授は著書『庄内少年歳時記』で、あばのことを書いている。
〈由良のあばは、門先に立つと甲高い声で、「ばばちゃー、魚はいらねがや、イキのいいタイもあるし、コガレもあるう。イカなのこっで安くしておくどもにゃー」と声を掛ける。天秤(てんびん)棒で担ぐかごに青光りするイワシがどっさり入っていた。拍子をとってすたすたと歩く歩きかたが、イワシの生きのよさを伝えていた〉、と。文章からイワシの生きの良さ以上に、あば本人が生き生きしている様子が伝わってくる。
生きのいい庄内浜のあばは、長く人々の食卓を支えてきた。その姿は、ただ魚を売り歩くだけの商売ではなく、むしろ風物として街になじんだ文化だった。
午後1時前、仕事から戻ったあばたちが、組合の休憩所で弁当を広げてひと息つく。仕事のこと、家族のことなど、おかずを分け合いながらにぎやかな会話が弾むころ“相棒”のリヤカーも裏の保管場所に立て掛けられ、あすの仕事までひと休みする。
(論説委員・粕谷昭二)