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荘内日報ニュース


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2010年(平成22年) 5月11日(火)付紙面より

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森の時間28 ―山形大学農学部からみなさんへ―

森の残酷物語パート2 カウントダウン・レクイエムに心の耳を澄ませよう 小山 浩正

 昨年は蜂群崩壊症候群(CCD)という用語が話題になりました。原因不明のままミツバチが激減した現象です。農産物の受粉にミツバチは欠かせないので、経済的損失も大いに心配されました。昆虫社会で起きた異変が、植物社会そして人間社会にもドミノ式に波及しうることを実感させられた騒動でした。

 昆虫というパートナーが不在になることで陥る植物の危機は他の形でもありえます。例えば、外来種のニセアカシアの花も昆虫たちに人気なので、同時期に咲く在来の植物は、もともとパートナーだった昆虫たちにそっぽを向かれて次世代を残せていない可能性があります。そんな事態が進行していても、すぐには気づきにくいのがこの手の問題の恐ろしいところ。私たちは路傍の草が発する控えめな叫びに、もっと心の耳を澄ませなければいけないようです。

 それについて、もうひとつ気になっていることがあります。庄内ではハルニレの樹に出会うことがありません。水辺を好む樹なので、最上川や赤川の氾濫(はんらん)原に由来する庄内平野には普通に生えていたはずです。ただ、氾濫原は水田にされるので「米どころゆえにほとんど伐られたのかも」と諦めかけていました。

 私がこの樹にこだわるのは、春が訪れる度に学生時代の記憶が鼻腔をくすぐるからです。私の母校は「エルムの学園」と呼ばれ、ニレの大木が敷地のあちこちにそびえていました。エルムとはニレの樹のことです。明治のお雇い外国人が故郷を懐かしんで、ニレだけは伐らずに残すよう指示したからと言われます。最北の大地は春の到来が格別で、その萌えあがるにおいとハルニレの若葉の映像が脳裏のどこかで結びついているのでしょう。そんな個人的な懐かしさも手伝って、庄内でも気にしながら探しているわけですが、なかなか巡りあえませんでした。

 しかし、最近になってついに見つけたのです。鶴岡市中狩谷の産直施設「あねちゃ」の裏にある福地神社の境内に立派なハルニレの大木が立っています。ただ、孤立木なので、花が咲いても花粉を交換する相手がいません。だから、路面に溜まるほどタネが落ちるのに、どれも中身は空っぽです。もちろん、これでは発芽できません。この木はまだしばらくは生きるでしょうが、いずれは枯れます。その時が庄内からニレが消える日でしょうか。滅亡へのカウントダウンは密かに始まっています。こうなると、歩いて婚活できない樹木はつらいので、私たちが他から花粉を運んで受粉(見合い)してやりたいところです。見事タネが成ったら苗木を学校の校庭などに植えさせてもらって復活を期するのも良いでしょう。それには、少なくともあと一本、同胞を見つけねばなりません。

 同様にパートナー不在なのが高坂にあるセブンイレブンの近くに立つハリギリ。この樹も、毎年春先には狂おしいほど咲きますが、決してタネは成らずに虚しく萎れるだけ。鶴岡市消防署横のタブノキもまた独り寂しい巨木です。心の耳を澄ませば、街のあちこちでチクタクと不気味なカウントダウンが不協和音のレクイエムのごとく鳴っています。

(山形大学農学部教授 専門はブナ林をはじめとする生態学)

鶴岡市福地神社の芽吹き始めたハルニレ=自然写真家・斎藤政広(2010年4月25日撮影)
鶴岡市福地神社の芽吹き始めたハルニレ=自然写真家・斎藤政広(2010年4月25日撮影)


2010年(平成22年) 5月11日(火)付紙面より

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残雪と白さ競う 酒田市刈屋地区 和ナシの花満開

 「刈屋梨(かりやなし)」のブランドで知られる酒田市刈屋地区で、和ナシの花が満開を迎え、バックにそびえる鳥海山の残雪と白さを競っている。

 同地区は日向川と荒瀬川の合流点。鳥海山から運ばれてきた豊かな養分を含む土が堆積(たいせき)し、ナシの栽培には最適な土地になった。明治30(1897)年ごろ、長十郎が植えられて栽培がスタートしたという。

 ナシにかける生産者の熱い思い、長年にわたる努力が結実し、今では四十数戸の農家が約34ヘクタールで幸水、豊水、新水などの品種を栽培。「和ナシなら刈屋」と言われるまでになった。

 庄内みどり農協酒田北部園芸センターによると、例年4月下旬に咲き始める花が5月2日にずれ込むなど、今年は生育が10日ほど遅れている。ただ、つぼみの数などは平年並みで、収穫量や品質には影響がない見込み。

 今は開花の最も遅い幸水が満開。授粉作業はほぼ終わっており、花は間もなく散り始めるという。

鳥海山を背景に真っ白な花が満開になった酒田市刈屋地区のナシ畑=10日午前8時すぎ
鳥海山を背景に真っ白な花が満開になった酒田市刈屋地区のナシ畑=10日午前8時すぎ


2010年(平成22年) 5月11日(火)付紙面より

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八重桜の回廊が登場 地域が協力し植栽“新名所”へ

 八重桜の回廊を湯野浜温泉の名所に―。鶴岡市湯野浜で9日、15年前から地域住民が植栽してきた八重桜の初めての「花見の会」が開かれた。湯野浜と善寳寺を結ぶ自転車・歩行者専用道路沿いに植えられた126本の並木があり、参加者たちは満開となった八重桜の回廊の通り抜けを楽しんだ。

 自転車・歩行者専用道路は約3・5キロ。廃線となった庄内交通湯野浜線の跡地に市が1980年に整備した。海の見えるコースとして散策やサイクリングに人気がある。

 この専用道路に「湯野浜の名所を」と、地元の住民有志が立ち上がり、地域に参加を呼びかけ1995年から沿道に八重桜の植栽を進めた。各家庭や湯野浜温泉のホテル・旅館、店舗が資金を出し合い、植栽した木に個人名や事業所名を書いた標柱を添え、それぞれが除草などの管理を担当。当初は50本程度だったが、参加者が増え、現在は温泉街の約500メートル区間に126本の八重桜の並木ができ、当初植えた桜は高さ約5メートルに成長した。

 初の花見の会は、植栽の参加者でつくる「湯野浜桜の会」(菅原忠会長)が、植栽開始15年を記念して企画。家族連れなど約80人が参加。好天の下、真っ青な空と海に映える八重桜の回廊を歩き、桜の写真を撮るなどして「湯野浜自慢の八重桜」を満喫した。

 菅原会長は「植栽から15年。みんなで育てた桜がようやく見事な枝ぶりとなった。植栽希望は今も続いている。さらに並木を延ばして湯野浜の名所にしていきたい」と話した。見ごろは15、16日ごろまで続くという。

湯野浜地区の住民が15年掛けて育てた八重桜。見事な回廊となり、初の花見の会が開かれた
湯野浜地区の住民が15年掛けて育てた八重桜。見事な回廊となり、初の花見の会が開かれた



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