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2011年(平成23年) 2月23日(水)付紙面より

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“青春の味”惜しむ声 甘党の店ふくひろ 閉店へ

 放課後に女子高生らが立ち寄る人気店として親しまれてきた鶴岡市本町一丁目の甘味処「甘党の店 ふくひろ」が、今年5月20日の営業を最後に閉店する。東京生まれで経営者の大塚宏永さん(69)が1971(昭和46)年に現在地に開いて以来、低価格と当時最先端のジョッキに盛ったパフェなどのスタイルが女子高生たちのハートをつかみ、40年にわたり愛されてきた。閉店の報を受け、“青春の味”を惜しむ声が寄せられる一方、大塚さんは「好きな仕事を40年も続けられて幸せ」と表情は晴れやかだ。

 東京・下町生まれの大塚さんと鶴岡の縁は、菓子職人だった父親の故武恍(たけお)さんが、当時市内にあったスーパー「ヤマリン」(82年12月に廃業)で大判焼きを実演販売していたことから。

 単身赴任していた武恍さんのもとへ高校生のころから遊びに来るうち、「海、山、川があって食べ物もおいしい」(大塚さん)とすっかりファンに。高校卒業後、いったんは郵便局に就職したが、鶴岡に心引かれ、都内の洋菓子店で3年間修業した後、武恍さんの仕事を手伝う形で鶴岡へ来た。

 ヤマリンでの仕事は兄も手伝い順調だったことから、30歳で独立を決意。「女性をターゲットにした店を出そう」と71年9月に、祖母と自分の名前を掛け合わせて名付けた「ふくひろ」を開店させた。

 「当時はファミレスもコンビニもなかった時代。『女性待望の店』と大々的に宣伝し、オープン時はものすごい行列ができた」と振り返る。ジョッキにアイスを盛った「びっくりパフェ」や、ラーメンやうどんとミニサイズのソフトクリームを組み合わせたセットメニューなど、当時珍しかったスタイルが評判となり、女子高校生を中心に人気に火がついた。開店から10年の間にJR鶴岡駅前、銀座通りの洋品店「マルタ」2階、酒田市中町と順に3店の支店もオープンさせた。

 さらに人気を定着させたのが、25年ほど前から武恍さんの味を受け継いで店頭販売を始めた大判焼き。定番のあずきやクリームに加え、チキンナゲットやポテトなど新しい味を登場させ、高校生たちの放課後のおやつとして、鶴岡市内の高校に通った人なら誰もが知る味となっていった。

 閉店を決めたのは、半年ほど前。体力が落ち、すべて自家製を誇るあんやアイスクリームなどの仕込みが重労働になってきた。店でのアルバイトが縁で結婚した妻の万喜子さん(59)も今年で還暦を迎えることもあり、「70歳で現役は引退しよう」と5月の自分の誕生日後に店を閉めることを決めた。

 閉店の知らせを受け、今月に入って店には真偽を確かめる高校生や「冷凍して食べる」と大判焼きをまとめ買いするおばあちゃんの姿も。帰省すると必ず立ち寄るという都内の大学に通う男性(22)は「うそでしょう。残念。大型連休にもう一度来る」と話して店を後にした。

 大塚さんは「新しいことが大好きで、(提供したメニューを)お客さんが喜んで食べてくれるのが本当にうれしかった。好きな仕事だったからつらいことはなかった。これからは趣味の登山や旅行を楽しみたい」と笑顔で話した。

 開店以来、3度は値上げしたというメニューだが、あんみつは220円、ミニソフトが付いた「ふくひろラーメン」は400円と最後まで良心的だ。

40年にわたり放課後の女子高生たちの憩いの場として親しまれてきた「ふくひろ」=鶴岡市本町一丁目
40年にわたり放課後の女子高生たちの憩いの場として親しまれてきた「ふくひろ」=鶴岡市本町一丁目



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