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荘内日報ニュース


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2011年(平成23年) 3月22日(火)付紙面より

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ありがとう 酒五中 63年の思い出 新酒一中へ 統合の両校で閉校式

 酒田市の第一、第五両中学校が統合され、4月に新・酒田一中が開校することを受け、酒田五中(佐藤邦生校長、生徒299人)で19日、酒田一中(池田誠晴校長、生徒229人)で20日、それぞれ閉校式が行われ、在校生や地域住民らが最後の校歌を体育館内に響かせた。

 酒田五中は、西荒瀬中(廃止)と、酒田一中の一部を学区とし1961年4月に開校。現在の3年生を含め卒業生は7194人に上る。少子化による生徒数減少を背景に現・酒田一中と統合し、3月末で半世紀の歴史に幕を下ろすことになった。

 新たに誕生する新・酒田一中は、一中の施設を活用することから、生徒らが五中校舎に集うのはこの日が最後。体育館で行われた閉校式には、卒業式を終えた3年生を含む全校生徒、教職員、来賓、保護者、地区住民ら計約500人が出席した。

 阿部寿一市長が「これまで築き上げてきた五中の輝かしい伝統と歴史は、新しい学校へと必ず引き継がれると確信している。これまで身に付けてきた自信と誇り、勇気を持ち勉強、部活動、生徒会活動を頑張ってほしい」と式辞。佐藤校長は「名残惜しさを語ったら尽きないが、その思いを胸に生徒たちは力を出していくはず。これまで『五中大家族』と言ってきた。家族はどこまでいっても家族。家族のこれからを見守ってほしい」とあいさつした。

 生徒を代表し小松藍士君(3年)が「閉校式で、五中がなくなると実感し、胸が締め付けられる思い。7194人の思いを込め、ありがとう、そしてさようなら」と述べた。引き続き、3年生を含む全校生徒が登壇し、2009年度に全校生徒と教職員が力を合わせて制作したオリジナル合唱曲「夢の翼」を合唱、最後は出席した地域住民、来賓も加わり最後の校歌斉唱。それぞれに感謝の気持ちを込めながら高らかに歌い上げた。

 一方、酒田一中は1947年4月、学校教育法施行に伴い同市寺町(現在の中央西町辺り)に開校。翌年に現在地に移った。現在の3年生を含め卒業生は1万7055人。閉校式には生徒、教職員、来賓、保護者、地区住民ら計約500人が出席した。

 阿部市長の式辞に続き、池田校長が「一中は地域の基幹校として自覚と責任を感じながら伝統と歴史を積み上げてきた。皆さんのこれまでの力添えに感謝したい」とあいさつ。生徒を代表し斉藤真穂さん(2年)が「この一中での思い出は、多くの先輩たちや先生たちの心にいつまでもずっと残り続けると信じている。63年の思いを必ず新一中に引き継いでいくことを約束します」と述べた。

 3年生が制作した63年間を振り返るスライド上映に続き、生徒たちが合唱曲「輝くために」を合唱したほか、出席者全員で最後の校歌を歌い上げた。

 新・酒田一中の開校式は、4月3日に同校体育館で開かれる。その際に校章と校歌が一般に披露される。

最後の校歌を体育館に響かせた=19日、酒田五中(左) 池田校長(右)から校旗が返還された=20日、酒田一中
最後の校歌を体育館に響かせた=19日、酒田五中(左) 池田校長(右)から校旗が返還された=20日、酒田一中


2011年(平成23年) 3月22日(火)付紙面より

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福島・宮城から130人 自炊生活 =鶴岡の6避難所=

 東日本大震災や東京電力福島第1原子力発電所の放射能漏れ事故を受け、鶴岡市は公共施設を避難所として開設し、多くの避難者を受け入れている。各避難所では、ほとんどの避難者が家族と離れ離れで生活しており、「原発問題が解決しないと帰れない。将来生活していけるか不安だが、生きていれば何とかなる」と“無期限”の避難生活に不安を抱えている。

 同市によると、寝泊まりと自炊ができる施設として、櫛引や羽黒地域などの公共施設6カ所を避難所として開設。21日現在、約130人が避難しているという。

 このうち、羽黒農村改善センターには19日、福島県南相馬市から10家族51人が避難していた。避難者たちはグループごとに分かれ30畳2部屋と60畳1部屋で寝泊まりしており、自家用車で食料や生活用品を買い出しに出掛けたり、調理室で調理するなど力を合わせ自立した生活を送っている。避難者の男性は「地域の皆さんの温かい支援のおかげで生活できている。すごくありがたい」と話していた。

 昼ごろになると調理室に集まり、家族ごとに仲良く昼食を取っていた。南相馬市に両親を残して避難してきたという男性(31)は「避難指示を受けてから、当事者である東京電力や国からは避難する際に全く支援を受けていない」と憤りを強く訴え、「まだ、被災地には避難したくても移動手段がなくて大勢の人が残っており、一日でも早く救助してくれることを願っている」と話していた。

 同センターは救援物資の受け付け場所となっており、防災無線などで地域住民に呼び掛けたところ、19日午前中は、毛布や米、おむつ、レトルト食品、カップラーメンなどの物資を抱えた住民たちが相次いで訪れていた。友人とともに衣類などを寄付した女性(62)は「テレビ報道を見て、被災地の悲惨な現状を知り、苦しんでいる被災者のために何か役に立ちたかった」と話していた。

 寄せられた救援物資は避難所に配布されるほか、被災地に送られる。

 市羽黒庁舎の真田昭良支所長は「農村センターの受け入れ人数はほぼ限界に近い。避難者の中には持病のある方や被災したストレスで体調を崩す方もいるが、市の保健師に対応してもらっている。避難生活は長期化するとみられ、生活資金の問題など受け入れ側の対応を考えていかなければ」と話していた。

避難者たちは協力して食事を作ったりし、自立した避難生活をしている=19日、鶴岡市羽黒農村改善センター
避難者たちは協力して食事を作ったりし、自立した避難生活をしている=19日、鶴岡市羽黒農村改善センター



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