2012年(平成24年) 6月14日(木)付紙面より
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神奈川県中井町の住民たちが12日、鶴岡市大鳥地区に、開村にまつわる落人伝説とともに伝わる「大日如来坐像」(市指定文化財)を参拝に訪れた。約820年前、村の開祖・工藤祐茂(大学)が相模国・田中(現中井町)から捧持してきたと伝わる仏像だが、中井町では「盗まれ、行方不明」とされてきたもの。このほど大鳥にあることが分かり、800年の時を超えて対面した同地区の関係者を「大日如来の不思議な縁」と喜ばせた。
大日如来坐像は高さ約30センチの彫刻で、鎌倉時代の作とされる。大鳥地区の伝説によると、源頼朝の要人だった工藤祐経が曽我兄弟に討たれた後、伊豆の留守居役を務めていた弟の祐茂は身を案じ1193(建久4)年、伊豆を逃れた。甲斐、信濃、越後・山北を経て1199(正治元)年、大鳥にたどり着き開村した。伊豆から逃れるとき、田中の森に鎮座していた大日如来坐像を厨子ごと背負って捧持してきた。
仏像は大鳥の二階巣(誉谷)の大日山・大日堂に安置され、「火伏せ如来」として慕われてきたが、お堂の老朽化や過疎化によって維持が困難になった。このため大鳥地区大日如来保存委員会が組織され2005年6月、地区内の龍雲院(藤原知雄住職)に移した。
一方、「盗まれた」と伝わる中井町では、代わりの大日如来像を作り、半分形(はぶがた)地区自治会館に安置していた。1979年にこの後継の仏像を調査したとき、内部から胎内仏と共に、なくなった経緯や、後継の仏像が2代目(本物から数え3代目)で享保18(1733)年に作られたなどの記録が見つかっていた。
両地区を結んだのは、母親が大鳥地区出身という工藤登美子さん(72)=千葉県野田市。仏像が龍雲院に移されたときの由来書を昨年、毛筆で書き同院に奉納。歴史好きの知人女性にも贈ったところ、この知人を通じて由来書が中井町教育委員会に届き、同年9月、同町文化財保護委員会で話題になった。
今回、訪れたのは今年3月まで同町文化財保護委員を務めていた森茂さん(79)=農業=を団長とする半分形地区の9人。龍雲院に安置されている仏像を参拝して祈祷(きとう)を受け、祐茂の子孫ら大鳥地区の住民、縁者ら約20人と懇談した。
森さんは「ここにあると知ったときは『まさか』と本当にびっくりした。800年も前になくなった仏像に対面でき、大日如来の不思議な縁を感じる。この縁を大切に、交流を続けたい」と話した。
工藤登美子さんも「不思議な因縁を感じる」と感慨深げ。藤原住職は「これを機に、末永く懇意にしていきたい」と話した。一行はその後、地区内の祐茂の墓も参拝した。