2017年(平成29年) 7月21日(金)付紙面より
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認定NPO法人「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(YIDFF、山形市、大久保義彦理事長)は、「世界一の映画館」といわれた酒田市の「グリーンハウス」をテーマにした短編ドキュメンタリー映像の制作を進めている。今年の同映画祭(10月5―12日、山形市)で上映する。
グリーンハウスは、清酒「初孫」の東北銘醸の創業家の佐藤久一氏が中心になって1949年5月、酒田市中町二丁目に開館。映画評論家の淀川長治氏が「世界一の映画館」と評したが、76年10月の酒田大火の出火元となり焼失した。
YIDFFは地域シリーズ「山形と映画」の中で今年、同映画館をテーマに掲げ、春から関係者が酒田に出向いて事前調査。グリーンハウスを撮った動画や写真、図面、模型、大火の記録などを探すとともに、ゆかりの人たちにインタビューしている。
今月16、17日には、佐藤広一監督(39)=天童市荒谷=やYIDFFの高橋卓也事務局長らが酒田市を訪れ、久一氏の知己で喫茶「ケルン」(同市中町二丁目)を経営する井山計一さん(91)をはじめ、同市出身の社会学者でメディア文化論に詳しい仲川秀樹さん(日本大文理学部教授)、酒田大火を知る元消防署員、よく通っていた常連の女性の4人にインタビューした。
このうち井山さんについては16日夕、ケルンで約1時間にわたりインタビュー。井山さんは「1948年、清水屋の青塚義一社長らが蔵を改装してダンスホールを造ったが、あまり人が入らなかった。それを仲間だった初孫の佐藤久吉さん(久一氏の父)が買い取り映画館にした。蔵だったので、真ん中に4本の柱があった。隣の自転車預かり所の土地を譲ってもらい広げ、柱を抜いた。2階はなかった」など立ち上げの経緯を説明。「最初は粗雑な感じで、成績は上がらなかった。そこに、当時、日大に入っていた久ちゃん(久一氏)が帰ってきて、とんでもない建物に変えていった。2階を造り、シネサロンや食事できる部屋を造り、飾り棚に100万円もするハンドバッグを飾ったりした」など、久一氏が「世界一」に仕立てていった経緯を熱く語った。
佐藤監督は「グリーンハウスは酒田の人たちの人生交差点のような場所だった。昭和の文化遺産的な存在だが、単に『かつて、そこにあった』というだけでなく、現在を生きている酒田の人たちの、これからの酒田の在り方につながる作品にしたい」と語った。
短編映像は長さ30分程度で、東北銘醸の関係者が保管していた館内の動画や、ゆかりの8人ほどのインタビューを中心に構成するという。