2017年(平成29年) 7月25日(火)付紙面より
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戦国武将・加藤清正公の嫡男・忠廣公が22年間にわたって配流されていた鶴岡市丸岡地区で22、23の両日、両公を祭る「清正公祭」が行われた。地区住民らが父子の霊を供養するとともに、家内安全や商売繁盛を願った。
同地区の天澤寺(庄司良圓住職)では大正期から毎年、清正公の命日に当たる7月24日に前後して清正公祭を行い、1996年からは地区の子どもたちを主体とした前夜祭「御逮夜(おたいや)祭」も行われている。
22日の御逮夜祭では午後6時ごろ、天澤寺本堂から両公の尊像を運び出して「渡御巡行」へ。本来は尊像を乗せた山車が地区内を練り歩くが、この日は天候で中止。代わりに境内参道を合わせて約40人の行列が歩いた。
行列は葬送の形をとって行われ、どらやちょうちん、錫杖(しゃくじょう)、御香が並び、きらびやかな衣装をまとった稚児行列が後に続いた。
その後は、櫛引西小児童による太鼓演奏や、丸岡桐箱踊りなどの芸能法要。境内には多くの地区住民が参列し、子どもたちのかわいらしい姿に目を細めていた。
23日は天澤寺で清正公本祭があり、清正公一族の供養などが行われた。