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2018年(平成30年) 9月25日(火)付け紙面より

鶴岡の戊辰戦争歴史学ぶ

 150年前の戊辰戦争ゆかりの地を訪ね歩く「親子で戊辰の足跡(あしあと)を巡る」が22日、鶴岡市内で行われた。市内の小学生の親子連れが温海地域の激戦地となった関川や、庄内藩の部隊に加わった新徴組隊士の墓地、旧幕府軍の庄内藩が新政府軍に降伏を告げた藩校致道館などを巡り、150年前に思いをはせ、鶴岡の戊辰戦争の歴史を学んだ。

 鶴岡市教育委員会が明治維新150年記念事業として主催し、小1―6年生の児童と保護者10組21人が参加。中には、歴史に興味を持つ親が「あらためて庄内藩の戊辰戦争を知りたい」と、子どもを誘って参加したケースもあった。

 温海地域の鼠ケ関では、1868(慶応4)年8月に、鼠ケ関に停泊した新政府軍の蒸気船から打ち込まれた砲弾(長さ25センチ、直径11・5センチ、重さ15キロ)が残る瑞芳院(齋藤元雄住職)を見学。子どもたちは実際に砲弾を抱えようとしても持ち上がらず、重さを実感していた。

 同年9月に16日間にわたって激戦が繰り広げられた関川では、五十嵐茂久自治会長が「関川は本州最後の戊辰戦争の激戦地。山越えで新政府軍が攻め入り、4軒の家が焼かれ、住民は全員が隣の越沢に逃げた。今でもふすまに刀傷が残る家がある」と話し、庄内藩が唯一、領内で占拠された関川での戦いの激しさを解説した。

 戊辰戦争で戦死した湯田川地区にある新徴組隊士の墓地を訪れた後、当時の庄内藩13代藩主・酒井忠篤(ただずみ)が同年9月27日、新政府軍の参謀・黒田清隆と会い、降伏・開城を告げた庄内藩校致道館の「御居間」を見学。降伏した庄内藩に対し、寛大な処分が下された背景には、庄内の心情をくみ取った西郷隆盛の強い指示があったことや、維新後の庄内と西郷との交流、旧庄内藩士による「南洲翁遺訓」の刊行、兄弟都市盟約に至る鶴岡市と鹿児島市との交流を学んだ。

 母親に歴史上の人物に関する本を贈ってもらい、歴史に興味を持ったことがきっかけで参加した同市美咲町の櫻井ゆめのさん(8)=朝暘六小3年=は「戦争は怖いと思った。でも、戊辰戦争は新しい日本ができることにもつながったということを教えてもらい、すごいことだと思った」と話していた。

戊辰戦争の激戦地となった関川地区を訪れた参加者。親子が150年前の戦いに思いをはせた
戊辰戦争の激戦地となった関川地区を訪れた参加者。親子が150年前の戦いに思いをはせた

蒸気船から打ち込まれた砲弾に触れ、戊辰戦争の歴史を体感した=鼠ケ関・瑞芳院
蒸気船から打ち込まれた砲弾に触れ、戊辰戦争の歴史を体感した=鼠ケ関・瑞芳院



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