2019年(令和1年) 5月26日(日)付紙面より
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太平洋戦争中、東京都江戸川区の学童が戦火を逃れて鶴岡市に集団疎開して75周年を迎えたのを記念する歓迎・交流の夕べが24日、同市の東京第一ホテル鶴岡で開かれた。疎開経験者17人が江戸川区から参加し、鶴岡の元学友らと当時の思い出を語り合った。
学童疎開経験者でつくる山疎会、金峯会、江戸川大山会、新穂会、鶴岡の思い出を語る会の5団体と、鶴岡との交流団体、江戸川区職員、首都圏鶴岡会から約30人が来鶴し、鶴岡側の関係者を合わせ約80人が出席。皆川治市長が「75年前のことをきのうのことのように思い出されるのではないか。若い世代にも皆さんの経験を伝え、交流を発展させてほしい」とあいさつした。
山疎会の新見清さん(84)が疎開経験者を代表してあいさつし、「疎開で鶴岡の皆さんに温かく迎えていただいたことは今も忘れられない。鶴岡に疎開できて本当に幸せだった。ありがとうの言葉だけでは言い尽くせないが、何度も感謝のありがとうを言いたい。これからも第二の古里鶴岡を大事にしていきたい」と、鶴岡に寄せる思いを語った。
他の団体の疎開経験者も「友達になった鶴岡の児童の家に遊びに行き、芋をふかして食べたり、学校行事でイナゴの捕り方を教えてもらったり、東京では食べられない白米も食べた。疎開先が鶴岡で良かった」「宿泊先の旅館の2階から見た天神祭の化けものが強く印象に残っている。その何年後かに化けもので祭りに参加でき涙が出た」「大山の民家にお世話になった。その恩情が忘れ難い」「86歳になって、多くの同級生が亡くなった。その仲間たちの感謝の気持ちを伝えたくて、鶴岡を訪れた」など思い出と感謝の言葉を述べた。
一行は26日まで滞在し、25日は天神祭パレードに参加。大山地区では疎開先の家庭を訪問したり地区運動会を視察したりして、市民と交流を深める。
江戸川区からの学童疎開は1944(昭和19)年8月から始まり、終戦後の45年10月まで続いた。約4000人が鶴岡を訪れ、市街地や湯野浜、大山、湯田川などの旅館や寺院、民家に分宿し、戦火が収まるのを待った。