2019年(令和1年) 5月28日(火)付紙面より
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日本写真家協会前会長の田沼武能さんをゲストに迎えたトークイベント「昭和と東京を語る」が25日、酒田市の土門拳記念館で開かれた。田沼さんは同市出身の世界的写真家・土門拳(1909―90年)との思い出や、田沼さんの師で土門と「リアリズム写真の双璧」と呼ばれた木村伊兵衛(1901―74年)との作風の違いなどを語った。
同記念館で開催中の特別展「昭和を見つめる目 田沼武能と土門拳」の関連企画として、同記念館が主催。県内外の写真愛好家ら約100人が参加した。
田沼さんは、同記念館学芸担当理事の写真家・藤森武さんの司会でトーク。少年時代は近所の仏師に憧れ彫刻家を目指したが、父親に反対され、今度は建築家を目指したが大学受験に失敗。友人の薦めで東京写真工業専門学校(現・東京工芸大)に入り、フォトジャーナリズムを志してサン・ニュース・フォトスに入社。ここで木村に出会って弟子になったなど、半生を語った。
木村の下での修業については「下町の生活を撮りに行くにしても、ただ一緒についていくだけで、何も教えてくれない。『まねをしても、俺以上にはならない。俺の中から必要なものだけを盗め。あとは自分で考えろ』と言われた」と振り返った。
木村と土門の関係については「犬猿の仲のように言われたが、それほどでもなかった」として、田沼さんが土門の家に行った際のエピソードを紹介。「私の顔を見るなりすごい顔になったが、パッと切り替わった。弟で暗室担当の牧直視さんを呼び、私から暗室のことをいろいろ聞き出した。特に隠すこともないので私もいろいろしゃべったら、土門さんは私のことを悪者じゃないと思ってくれたようで、その後、いろんなことをしてくれた」とした。
木村の作風については「スナップの名手で、どこでシャッターを切るか分からない。一期一会だった。撮っている人間が介在しないよう、空気になったように撮った」、土門の作風については「事前にその人物のことを研究し、こういうところを撮ろうと描き、それになるべく近づけて撮った」と解説。対照的な一方で「究極的に(目指すもの)は変わっていない」とも述べた。
田沼さんが東京の下町の写真を多く撮った理由については「生活が表に露出していたから。作品は人間の生活が大事な要素で、土門さんも同じだったと思う。時代とともに生活や考え方は変わる。それがあるから写真は面白い」と持論を語った。その後、特別展会場を回り、自身の作品を1点ずつ解説した。
特別展は7月15日まで、東京の下町などを撮った土門と田沼さんのモノクロ写真、計約160点を展示している。入館は有料。問い合わせは同記念館=電0234(31)0028=へ。