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2020年(令和2年) 1月1日(水)付紙面より

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明けましておめでとうございます

新年のごあいさつ
平成の恩人たち
荘内日報社 社長  橋本 政之

 令和となって初めての正月。昨年4月で終幕した平成の30年間に「庄内の道標」を描いてきた各界リーダーたちの人間模様をなぞってみる。
 「平成の恩人たち」の起点は元庄内交通社長、本山彌氏(昭和8・9・21?平成24・5・20、78歳)。羽黒の名家に生まれた本山氏を「優しい夢追い人」と評したのは、庄内交通を主力行として支援していた元荘内銀行頭取、町田睿氏(昭和13・2・17?平成30・1・30、79歳)。「公共交通を担う会社だけに経営をめぐり随分と厳しいやり取りもあったなあ」と懐かしむのは、両氏に共通する盟友、平田牧場グループ会長の新田嘉一氏(86)。本山氏が鶴岡、新田氏が酒田の商工会議所会頭として庄内経済を牽引していたころ、3氏は幹事役持ち回りで年に数回、時間も何も制約のない懇談を重ねていた。
 鶴岡、酒田両市を中心に14市町村をいっきに合併する「庄内はひとつ」で一致していた3氏。経済人として事業環境の変化や方向を的確に判断し、その先の時代を見抜く優れた先見性も共通していた。
 3氏が「平成の大合併」に動き始めたとき、「時期尚早」と牽制し現在の5市町へ合併を導いたのは元鶴岡市長、富塚陽一氏(昭和6・4・16?平成30・6・18、87歳)。高度成長期に県庁の企画部門を主導し、山形県の今の姿を描いた「県庁の頭脳」。庄内のトップリーダーとしての5期18年は「平成の城下町」を思い描いていた。郷土愛にたつ志は経済人3氏と同じであっても、「庄内はひとつ」に民と官では趣を異にした。
 富塚氏が「どう考えるかなあ」と事あるごとに気にかけたのが元自民党幹事長、加藤紘一氏(昭和14・6・17?平成28・9・9、77歳)。「総理に一番近い男」と呼ばれたころ、本山氏が地元後援会連合会の会長、新田氏が副会長として庄内を一つにまとめた。「加藤の乱」を境に庄内の夢はフェイドアウト、両氏は同時に退いた。志を継いだ三女の加藤鮎子氏(40)は当選2回で内閣の一員となり、環境大臣政務官として初の新春を迎えた。年賀の会で支援のマイクを握るという新田氏は、鮎子氏の祖父・加藤精三氏(明治33・11・20?昭和40・5・3、64歳)の代議士時代から一家3代をみてきた。
 5期20年にわたり酒田市長を務めた相馬大作氏(昭和4・2・15?平成26・8・21、85歳)が勇退したのは平成3年春。富塚鶴岡市政が始動したのはこの年の12月。それぞれに一時代を築いた両氏は現役市長としては重ならなかった。相馬市政の20年間はまさに波瀾万丈。高度成長期の真最中に酒田北港開発がとん挫、中心商店街が焦土と化した酒田大火が追い討ちをかけた。元セイコーエプソン社長、中村恒也氏(大正12・3・8?平成30・12・25、95歳)が実現した東北エプソンの進出は、まさに救世主だった。相馬市長から中村社長を紹介された新田氏は「世界のエプソン」を率いた10歳年上の経営者として深く尊敬。中村氏は「酒田に帰ると新田さんに会えるのが楽しい」と。名誉市民同士の知己は最晩年まで続いた。
 「ミスター庄内空港」と称された元前田製管社長の前田巌氏(明治39・3・30?昭和61・8・19、80歳)は「昭和の恩人」。平成3年10月1日、羽田からの開港一番機が小雨の庄内空港に着くと、夫人に抱かれたマエガンさんの遺影が降りた。鉄路はいまだ在来線だけ、高速道路は南北の県境が途切れたまま。庄内開発協議会最高顧問としてインフラ整備促進運動を牽引する新田氏は「人口減少が地域の最大課題となっている今、庄内空港の存在は計り知れない」とマエガンさんの功績を事あるごとになぞる。昨夏に待望のLCC(格安航空会社)が就航、来秋には開港30周年。
 新田氏が理事長として改革中の東北公益文科大学は今春、収容定員(4学年計960人)に対する充足率が100%を超える期待が高い。実現すれば開学20年目にして初。平成13年の開学時、庄内全体の高校3年生は3635人、18年後の昨春は2509人と減少が続く中、地方の私立大学としては快挙だ。
 大学が存在し続ける確立が80%を超える圏域の人口規模は17万5000人以上(三大都市圏を除く。国土交通省資料)。2045年の庄内5市町の推計人口は17万3692人(国立社会保障・人口問題研究所)。新田理事長は、庄内の人口減少問題に立ち向かい「令和の道標」を描く使命を、公益大学に課す。
     ◇
 新年明けましておめでとうございます。日ごろ「荘内日報」をご愛読、ご利用いただき誠にありがとうございます。「荘内日報」は、「庄内はひとつ」を創刊の理念に1946年、前身の「荘内自由新聞」の週刊発行に始まり、「時代をつなぎ、地域をつなぎ、心をつなぐ」を郷土紙の使命としています。本年も変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

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