2021年(令和3年) 4月9日(金)付紙面より
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長らくその行方が分からなかった幕末の志士・清河八郎(1830―63年)が記した随筆集「嘉永の楽水楼記(らくすいろうき)」とみられる軸装を一昨年、八郎研究者として知られる庄内町文化財保護審議会の菅原昭治副会長(肝煎)が入手。約1年かけ調査した結果、真作と判断し今年2月、同町教育委員会に報告した。
「嘉永の楽水楼記」は縦28・7センチ、横212センチの大きさ。菅原副会長によると、「楽水楼記」は1849(嘉永2)年の作と1855(安政2)年の作の2つがあり、「嘉永」は行方が分からなくなっていたという。「鶴岡市内の古書店で入手した時は興奮してゾクゾクした」(菅原副会長)という。
菅原副会長は今年に入り、くずし字で記された漢文を活字にした上で、旧知の徳田武明治大学名誉教授(漢詩)に意訳を依頼。折り返し送られてきた本文の内容や、清河八郎記念館元館長の成澤米三さんによる手書き鑑定書が添付されている点などから、八郎直筆によるものと判断。町に調査報告として白文、書き下し文、現代語訳、字義などの資料を提出した。
菅原副会長は「八郎による日記の内容とも一致している。落款もあり、筆跡も右上がりの癖のある字体。長く行方不明となっていた資料が見つかってうれしい」と話した。
「楽水楼記」は、八郎が過ごした書斎「楽水楼」で記されたものとされ、「嘉永―」は4章構成。清川の大自然を賛美するとともに、自らの気持ちを記している。町社会教育課文化スポーツ推進係は「『安政―』は県指定文化財。『嘉永―』はこれまで所在が分からなかった。八郎の思想を知る新たな手掛かりとなるのではないか」と話した。