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2022年(令和4年) 6月14日(火)付紙面より

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鶴岡「松ケ岡開墾150年」記念式と祝賀会 先人の労苦思い歩み振り返る

 明治維新後の1872(明治5)年に旧庄内藩士が山野を耕し、桑園を整備して養蚕を興した松ケ岡開墾(鶴岡市羽黒町松ケ岡)の150年を祝う記念式と祝賀会が12日、同市のグランドエル・サンで行われた。開墾士の子孫などで組織する地縁団体・松ケ岡開墾場(酒井忠久総長、堀誠理事長)の関係者らが出席し、先人の労苦に思いをはせ開墾の歩みを振り返るとともに、開墾精神と歴史、伝統を次代に引き継ぐ決意を新たにした。

 松ケ岡開墾では、旧庄内藩士約3000人が山野を切り開いて桑畑や大蚕室群を整備した。この開墾を基に鶴岡は国内最北限の絹産地として発達し、絹産業は鶴岡・庄内の近代化と発展に大きく寄与した。現存する大蚕室5棟や本陣などがある松ケ岡開墾場は1989年に国指定史跡となり、2017年に認定された日本遺産「サムライゆかりのシルク」の中核を成す構成遺産となっている。

 150年記念式は、昨年秋に予定していたが、コロナ禍の影響で延期されていた。この日の式典には、松ケ岡地区住民ら地縁団体の関係者のほか、県や市などから約160人が出席。明治維新後の松ケ岡開墾を精神的に支えた西郷隆盛が、開墾士たちに贈った言葉「気節凌霜天地知(きせつりょうそうてんちしる)」(開墾士の苦労は語らずとも天と地が知っている、という意味)を盛り込んだ「松ケ岡開墾場綱領」を唱和した。

 堀理事長が開墾の歴史を振り返り、「松ケ岡開墾場は時代に合わせて変化していた。開墾当時の先人たちの思いを胸に、新たな一歩を皆で考えながら、次の世代へと伝えていきたい」とあいさつ。旧庄内藩主酒井家第18代当主の酒井総長が「2016年の天皇・皇后両陛下(現上皇・上皇后両陛下)の松ケ岡開墾場ご来場の際、天皇陛下から『よく残してくれました』のお言葉を頂き、深く感銘し一堂の励みになった。150年を節目に開墾場のさらなる発展を祈り、今後とも地域発展に貢献していきたい」と式辞を述べ、吉村美栄子知事(代読)、皆川治鶴岡市長らが来賓代表でお祝いの言葉を贈った。

 式典に引き続き、テレビやラジオ番組出演など幅広く活躍する歴史家の加来耕三さんが「幕末と荘内藩―松ケ岡開墾150年を迎えて」と題して記念講演。明治維新後に全国各地で行われた旧士族の授産事業に触れ、「多くが失敗する中、どうして松ケ岡開墾が成功したのか。戊辰戦争で連戦連勝して負けなかった庄内藩の組織力と、藩校致道館で教えた徂徠学が基盤になっているのではないか」と述べた。また「明治維新は欧米列強支配から日本を守るため、薩長が中心となって中央集権化に突き進んだもの。庄内藩を賊軍とした薩長史観から脱却して、物事を考え、見つめ直すべきでは」と語った。

 祝賀会では、松ケ岡地区にある「ピノ・コッリーナワイナリー&ガーデン松ケ岡」(早坂剛社長)が醸造し提供した記念の白ワインで乾杯し、開墾150年の節目を祝い合った。

開墾の歴史と伝統を次代につなぐ決意を新たにした150年記念式
開墾の歴史と伝統を次代につなぐ決意を新たにした150年記念式

記念式で開墾場綱領唱和、開墾歌斉唱を行う酒井総長(右端)ら関係者(右)、記念講演した歴史家の加来さん(左)
記念式で開墾場綱領唱和、開墾歌斉唱を行う酒井総長(右端)ら関係者(右)、記念講演した歴史家の加来さん(左)



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