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2022年(令和4年) 9月25日(日)付紙面より

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酒井家に従い信州から鶴岡へ  總穏寺移転400年記念式典  酒井さん講演も

 鶴岡市陽光町の興林山・總穏寺(齋藤裕道住職)の移転400年記念行事が23日、同寺で行われた。ゆかりのある旧庄内藩主酒井家18代忠久さん、忠順さん親子による特別講演や記念法要、式典を通し、檀信徒など関係者が節目の年を喜び合った。

 總穏寺は1622(元和8)年秋、徳川2代将軍・秀忠の命で庄内転封となった酒井家に従い、信州松代(現長野市)から移転してきた。旧庄内藩初代藩主・忠勝(ただかつ)公の妻(明法院殿蘭室榮秀大姉)を開基とし、長年にわたり酒井家の庇護を受けてきた。

 400年前に酒井家が寄進した黒い總門の改修工事を記念事業の核とし、今年3月に鶴岡建設(五十嵐久廣社長)が着工、夏に完成した。耐震工事を主に、かつて酒井家7代忠寄(ただより)公と9代忠徳(ただあり)公を祭ったお霊殿(明治初期に取り壊し)にあった11枚の彫刻を、新たに總門へ設置したほか位牌堂の補修工事も行った。

 この日は檀信徒や縁のある寺の僧侶、来賓など約120人が出席。記念法要は善寳寺(鶴岡市下川)の水口道雄住職が導師(式総括)を務め、本尊への三拝や僧侶たちのよる般若心経の読経などが行われた。

 記念式典では檀信徒による記念事業実行委員長の平澤信雄さんが「飾り彫刻板11枚を設置し、豪華な自慢のできる總門となった。皆さんのご協力に心から感謝したい」と式辞。鶴岡建設の五十嵐社長へ總穏寺から感謝状が贈られ、最後に齋藤住職が「400年事業は自分の生涯最後の大行事となった。また、多くの老師からお役に就いて頂きありがたい法要となった」とあいさつした。

 法要、式典の前に酒井忠久さん、忠順さんがそれぞれ講演し、忠久さんは藤沢周平著「又蔵の火」のモデルとなり、同寺に像も建つ土屋丑蔵、寅松の仇討ち差し違え事件などに触れた。また、忠順さんは酒井家墓所整備や致道博物館など庄内の歴史・風土の継承などについて語った。

總穏寺の移転400年を記念する法要が行われ、僧侶たちが本尊三拝や般若心経を読経した
總穏寺の移転400年を記念する法要が行われ、僧侶たちが本尊三拝や般若心経を読経した



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