文字サイズ変更



  • プリント用表示
  • 通常画面表示

荘内日報ニュース


日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ
  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る

2011年(平成23年) 10月26日(水)付紙面より

ツイート

丸谷才一氏(鶴岡市名誉市民芥川賞作家)に文化勲章

 政府は25日、鶴岡市出身で同市名誉市民、芥川賞作家の丸谷才一氏(86)=東京都目黒区在住=ら5人が本年度の文化勲章受章者に決まったと発表した。親授式は11月3日の文化の日に皇居宮殿松の間で行われ、天皇陛下から直接授与される。庄内関係の文化勲章受章者は3人目。

 丸谷氏は鶴岡市馬場町出身。旧制鶴岡中学(現鶴岡南高)、旧制新潟高(現新潟大)に進み、東京大文学部英文科を卒業。大学卒業後は英文学者として翻訳、研究を続ける一方で、執筆活動にも取り組み、1960年に処女作「エホバの顔を避けて」を発表。その後、作家活動に専念し、68年に「年の残り」で第59回芥川賞を受賞。98年に日本芸術院会員、2006年に文化功労者に選ばれた。

 古典論、文章論、国語問題にも造詣が深く、小説、評論、随想など幅広く活動。長編小説では一貫して思想とは何か、国家とは何かを真正面から主題として扱い、それまでの日本の私小説の伝統から隔絶したものとなり、日本の小説の土壌に変革をもたらした。主題の比重は文学、言語へと徐々に移行し、「輝く日の宮」では日本人の心性と美を現代によみがえらせることに成功した。エッセーでも従来の随想のイメージを一新する軽妙洒脱(しゃだつ)な読み物のジャンルを形作り、さらに雑誌の書評欄の執筆者として多くの優れた批評を発表。幅広い執筆活動でわが国文化の向上発展に貢献している。

 丸谷氏は「子供のころ、日本が中国と戦争する意味が分からなかった。このままいくとアメリカと戦争することになるらしいと。日本は不思議な国、不思議な社会だと思っていた。さらに言えば、日本の近代文学はちっとも面白くなかった。異様なものだった。この不思議だなという思いを大切にしてきた。この思いが文学的原点になった。このことを思い続けてきた結果が、今回の文化勲章につながったのだと思う」と受章の感想。今後の創作活動については「(小説の)腹案が2つぐらいある。評論も2、3ある。86歳の年寄りだから、長い間机に向かっていると疲れる度合いが違う。ただ、最後まで現役の作家であり続けたい。それが自分の願望でもある」と語った。

 文化勲章をこれまで受章した庄内関係者は、「ゲーテ研究の最高峰」と称された鶴岡市出身のドイツ文学者で同市名誉市民の相良守峰氏(1895―1989年、1985年受章)と、父親が鶴岡市出身で市立荘内病院勤務経験がある、同市名誉市民でがん研究の第一人者の杉村隆氏(1926年―、78年受章)の2人がいる。

 ▽丸谷才一氏 本名・根村才一。1925(大正14)年、鶴岡市馬場町の開業医の家庭に生まれる。旧制鶴岡中学(現鶴岡南高)、旧制新潟高(現新潟大)に進み、東京大文学部英文科を卒業。大学卒業後は英文学者として英国の作家・ジェイムズ・ジョイスなどの翻訳、研究を続ける一方で、執筆活動にも取り組み、60年に処女作「エホバの顔を避けて」を発表し、その後、作家活動に専念。結婚後に妻の名字の根村姓となった。

 谷崎潤一郎賞、読売文学賞、野間文芸賞、菊池寛賞、泉鏡花賞、朝日賞、芸術選奨文部大臣賞など数々の賞を受賞。91年には英語訳の「横しぐれ」が英国のインディペンデント外国小説賞特別賞を受賞し、海外でも高く評価されている。代表作に「裏声で歌へ君が代」「女ざかり」「輝く日の宮」などがある。95年、鶴岡市名誉市民。

丸谷 才一氏
丸谷 才一氏



日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ

記事の検索

■ 発行月による検索
年  月 

※年・月を指定し移動ボタンをクリックしてください。
※2005年4月分より検索可能です。

 
■ キーワードによる検索
   

※お探しのキーワードを入力し「検索」ボタンをクリックしてください。
※複数のキーワードを指定する場合は半角スペースを空けてください。

  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る
ページの先頭へ

Loading news. please wait...

株式会社 荘内日報社   本社:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町8-29  (私書箱専用〒997-8691) TEL 0235-22-1480
System construction by S-Field