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2021年(令和3年) 1月1日(金)付紙面より

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明けましておめでとうございます

新年のごあいさつ

今も殿が住む気風

荘内日報社社長 橋本 政之

 旧庄内藩主酒井家17代・酒井忠明(さかいただあきら)氏(大正6?平成16年、87歳)は短歌や書、写真をよく知られているが、随筆も多く残された。来年は酒井家が庄内に入部してから400年に当たる。鶴ケ岡城址・鶴岡公園の本丸御殿跡に建つ忠明氏の歌碑「今もなほ殿と呼ばるることありて この城下町にわれ老いにけり」建立事業の記念誌「ふるさとの光と仰ぎて 殿様 酒井忠明氏」から酒井家の近代史を概括する。
 維新後、明治の初めに各藩主の大方は東京に出て新政府に仕えたりして国許を離れた。150年後の今も変わらず国許に居住しているのは酒井家のほかは柳川(福岡県)・立花家だけのようだ。
 太平洋戦争のとき、旧藩主たちは昔の縁を頼りにかつての国許に疎開した。酒井家にその必要がなかったことについて、忠明氏は「酒井家は先見の明があったなど云われたが、別に先見の明でもなく、維新後の事情によって庄内住いであった」(日曜随筆「殿様」)とし、「維新後の事情」については別稿に記す。
 戊辰戦争時に16歳で藩主の、忠明氏の祖父、13代・15代の忠篤(ただずみ)公(嘉永6?大正4年、63歳)は降伏開城し家督をいったん弟に譲り謹慎。謹慎を解かれた後、旧藩士70余人を率いて鹿児島に赴き西郷南洲(隆盛)翁から約5カ月間にわたり兵学など学んだ。
 その後、20代で陸軍少佐となった忠篤公は南洲翁の勧めで明治5年からドイツ留学、新時代に活躍すべく兵学を学んだ。ところが、7年後に帰国すると、西南の役で自刃した南洲翁没後の明治政府の処遇は、少佐から中尉に格下げ、分署勤めとなった。
 この経緯を「西郷先生のすすめによる留学を忌み嫌った、時の政府官僚の小感情か」と読む忠明氏。「『南洲翁すでに没し廟堂(政府)の形勢一変し報国の志を伸ぶるに由なく 軍職を辞せり』と書きとどめている。忠篤にとっては大きな挫折だったろう」(同「国際化」)と祖父の心情を慮(おもんばか)る。
 元和8(1622)年、3代・忠勝(ただかつ)公が信州松代から移って以来、庄内には今も、現当主の18代・忠久(ただひさ)さん(74)ご夫妻が住まいし、長男で19代後嗣(こうし)の忠順(ただより)さん(45)ご夫妻は市内で独立し3人の子育てに奮戦中だ。
 ご一家が一緒に暮らしていた当時、忠明氏は自らハンドルを握り庄内各地をカメラに収めていた。17年間務めた鶴岡地区交通安全協会長の運転は模範そのものだったが、最晩年は免許証を自主返納された。駆け出し記者の小生が警察担当のとき、鶴岡署幹部とサツ回りの懇親の席があり、安協代表の忠明氏が出席された。下座から、お膳を挟みお酌して回る忠明氏から全国紙の記者たちは当たり前に杯を受けていた中で、ひとり甚だ恐縮しお受けした記憶が残る。
 確かそのころ、「誰とでも平らかに接する」「帝王学は私まで。子供たちは皆さんと同じ普通の学校に」と伺った。忠明氏は旧制鶴岡中学(現鶴岡南高校)を卒業後、大学には進まず酒井家学問所で漢籍などを学び「帝王学」を体された。
 今年で創業150年を迎える松ケ岡開墾場に隣接する東北振興研修所に多くの教えが蓄積されている思想家・安岡正篤氏(明治31?昭和58年、85歳)は、昭和年代に歴代首相ら政財官界の指南役として知られる。「帝王学」について1原理原則を教えてもらう師をもつこと2直言してくれる側近をもつこと3よき幕賓(ばくひん)をもつこと?という3つの柱を説いている。
 「幕賓」は直接仕えないが、そのリーダーが好きで外部からあれこれ直言・忠告してくれる人物。学問、識見がありプライドも高く、おいそれとは人に惚れない。それを惚れこませる魅力を備えているか、歯車がかみ合うか。師や側近、幕賓をみればリーダーの器量が分かるという。
 今年で八十八歳を迎えた平田牧場グループ会長、新田嘉一氏(東北公益文科大学理事長)の「米寿の思い」を小紙新年号4版4面で特集した。一読いただくと得心されると思うが、庄内開発協議会最高顧問などとして庄内を牽引してきた人間模様は、師であれ側近であれ幕賓であれ、正に多士済々な人脈に改めて敬意を深くする。
 新田会長は幼いころ、父から「今日は殿様が来られるから」と外に出されたことが何度かある。忠明氏の父、16代の忠良(ただなが)公(明治21?昭和37年、73歳)のようだ。新田家は天保年間、幕府による三方国替えを阻止した農民の中に、その名を連ねる。
 17代目の新田会長は「庄内の気風は、しょっちゅう殿さまが代わった土地柄とは明らかに違う。庄内の今は酒井家が400年間居続けたおかげ」と語る。
 新型コロナ禍はいまだトンネルの先が見えない。そんな時代のリーダーの器量を、帝王学の3つの柱に、郷土愛豊かな新田会長の米寿の思いを重ねた物差しで計ってみたい。

 新年明けましておめでとうございます。日ごろ「荘内日報」をご愛読、ご利用いただき誠にありがとうございます。「荘内日報」は、「庄内はひとつ」を創刊の理念に1946年、前身の「荘内自由新聞」の週刊発行に始まり、「時代をつなぎ、地域をつなぎ、心をつなぐ」を郷土紙の使命としています。本年も変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

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