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郷土の先人・先覚232 三田派作家の生き方を堅持

庄司総一(明治39-昭和36年)

慶応大学英文科の出身で、母校慶応の先生をしながら阿久見謙のペンネームで『新三田派』、『三田文学』に小説や翻訳物を発表した庄司総一は、郷里ではあまり知られていない。

彼は流行作家ではなく、三田派らしい作家としての生き方を堅持、大勢の人に受けるような文学的華やかさを求めず、本格的な現代文学の課題に取り組んだ人である。

総一は明治39(1906)年、飽海郡北平田村漆曽根(現・酒田市)で、父・栄治と母・梅野の長男として生まれている。幼少のころから医者である父の勤務で各地を転々とし、北海道、大連、台湾と居を変え、台南市の小中学校を卒業している。

父母は熱心なクリスチャンで、彼も幼いときから自然にその影響が身にすき、精神形成にキリスト的ビューマニズムが深く作用したことだろう。彼の代表作『陣夫人』はそうした思想によって貫かれているといわれている。

人には様々な出合いがあり、中には人生の大きな転機になるような出合いがある。彼が慶応大学に入ったころ、詩人の西脇順三郎が先生であった。そのころの西脇教授はヨーロッパ留学から帰ったばかりで、講義では西洋の新しい文学運動について語り、学生たちに新たな情熱を呼び起こした。彼の文学的才能は、詩人である西脇順三郎教授との出合いによって大きく開眼したものと思われる。

昭和19(1944)年の春、敗戦色の濃い東京を脱出、郷里に疎開し、24年まで5年間を過ごし、主に鼠ケ関にある貞子夫人の実家に身を寄せたという。

やがて東京に帰った後は、敗戦の虚脱感から立ち直った人たちを手を結び、同人雑誌『新表現』をおこして情熱を傾け、仲間とともに制作に励んだ結果、同人100名を超え、数年間に渡り続刊されたという。

昭和29年からは母校である慶応大学の講師として「世界文学」という講座を持つ傍ら『三田文学』の編集委員として活躍している。性格は温厚で、仲間や後輩から親しまれ、慕われており、粗野なところは片鱗もない英文学を専門とする紳士であったと、彼を知る人たちは称えている。

作品は『陣夫人』(大東亜文学賞受賞)、『ロレンスの生涯』、『残酷な季節』などの長編ものや、詩集『ノノミ抄』など多く発表している。

亡くなったのは昭和36(1961)年。55歳の生涯を終えた。

(筆者・荘司芳雄 氏/1990年11月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

庄司総一(しょうじ・そういち)

作家。明治39年飽海郡北平田村生まれ。台南市の小中学校を卒業。慶応義塾大学に入り、一時母校の講師を務める。阿久見謙のペンネームで「新三田派」「三田文学」に小説や翻訳物を発表、また恩師の英文学者・西脇順三郎を介して西洋文学に親しむ。戦時中に書いた長編『陣夫人』で大東亜文学賞を受ける。昭和19年から5年間は、妻の故郷である温海町鼠ケ関で過ごし、県内の文士と交流する。著書に『ロレンスの生涯』、『残酷な季節』、『聖なる恐怖』、詩集『ノノミ抄』などがある。昭和36年、55歳で亡くなった。

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