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郷土の先人・先覚283 美術、文学、民俗学各方面で才能を発揮

井上長雄(明治40-昭和63年)

教職に励む傍ら、美術、文学、民俗学など多くの分野で活躍した井上長雄は、明治40(1904)年山形市宮町で生まれている。

長じて教員を志し、山形師範学校本科第一部卒業、同師範専攻科(英語・美術)に学び、昭和5(1930)年卒業。同年、酒田琢成尋常高等小学校に赴任し、同校に長い間勤務した。

その間「酒田洋画会」を設立。また、日本水彩画会などに入選、中西利雄、荻野康児の知遇を得て蒼原会会員になり、同16年白日会特待、現代美術会会員に選ばれ、その才能を発揮する。

詩の関係では昭和22年、県詩人協会を兼ねた準備会を井上長雄が中心となって、真壁仁、佐藤総右、高橋兼吉らを湯野浜温泉に招致して会を進めている。詩集は『海』、『青年彷徨』、『絶海』の著書があるし、そのほか随想などもよく書いたようである。

その後、昭和25年中学校校長に任ぜられている。

ところで後年、酒田市中町トミヤ画廊で油絵個展を開いたときのチラシに、画歴を次のように記している。

「青春時代の16年間、酒田琢成校で過ごしてきました。油絵は毎年何回か上京し研究会に出席したり、公募展に出品したりしてまいりました。(中略)終戦後20年余り中学校長の職にあったので、美術団体関係は辞退してきたところです。初心に戻った3年間の作品をお見せしたいと思います」。

民俗学は「石仏と信仰」をテーマに研究されており、石仏関係では「野の仏」写真展を山形美術館など方々で開き、東京や長野市では雑誌社と提携、「野の仏」の写真とスケッチ展を開き好評を博している。著書には『野の仏』『出羽三山碑』を出版しており、祖先の残した石仏の中に秘められた尊い信仰の灯に焦点を合わせ、温かい心で見つめ、実体にふれている。

民家の研究では、昭和33年「水田単作地の民家と生活」で、文部省科学奨励賞。同38年には「民家と生活環境」で第1回下中人文科学賞の栄誉を受けている。学究肌で、向学心の旺盛な人であった。『庄内の民家』も出版している。

人柄は誠実温厚で、いつも笑顔を絶やすことがなかった。また面倒見もよく、多くの人たちに敬愛され、慕われた人である。昭和63年10月、80歳で死亡した。

(筆者・荘司芳雄 氏/1993年1月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

井上長雄(いのうえ・ながお)

明治40年、山形市生まれ。昭和5年、酒田琢成尋常高等小学校に赴任、長年同校に勤務する。その間、美術関係では「酒田洋画会」を設立。蒼原会員、白日会特侍、現代美術会会員に選ばれる。詩の関係では県詩人協会を兼ねた準備会を進め、詩集『海』や『青春彷徨』などを出版している。また、民俗学では「石仏と信仰」など研究。民家の研究「水田単作地の民家と生活」で文部省科学奨励賞、「民家と生活環境」で下中人文科学賞を受賞した。昭和63年10月、80歳で亡くなった。

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