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郷土の先人・先覚312 漱石、子規らと交遊

藤井孝吉(明治2-昭和10)

明治後期から大正時代と昭和初期にかけて酒田では『群像』『木鐸』や『新荘内』など格調の高い総合雑誌が発行された。その中で藤井孝吉は編集者として、また執筆者として文壇をにぎわせた人物である。

明治2年2月、孝吉は父・藤井平太(六ツ新田藤井家の出)と、母・いよの長男として、中平田の浜田(現・酒田市新井田町周辺)で誕生している。平太は分家して築いた遺産を守り昔堅気な人であったが、孝吉は文学のみに傾注して父とは違った生き方をした結果、父子の間に亀裂が生じたようで、2代目を孝吉の妹・節江が相続。その後、孝吉の弟・淳茲が早逝、その子・平治負債が節江の養子となって3代目を継いでいる。

博学な孝吉は特に漢詩を好み、漢学者として著名な須田古竜門に学び、師の一字をもらって「蒼竜」と号した。当時、古竜門下には古夢(佐藤良治)、吟竜(荘司修理之助)、碧水(最上谷直吉)、懐亭(伊東知也)、淇州(竹内丑松)ら多士済々で、蒼竜もこれらの人たちに交わり盛んに漢詩を発表している。

『群像』第二巻第十一号に「郷土の其出身作品と人」の題で面白い記事が載っている。「酒田の漢詩壇には須田古竜は別格師範役としても、それ以外は藤井蒼竜氏あり、蒼竜氏と言へば必ず吉夢氏を連想する程読者に馴染深い筈である」。この一文によっても両社の活動を知ることができる。

孝吉は漢詩のほかに「鳩居」のペンネームをもつ俳人で、名の通った人である。「大正初年ごろの酒田俳壇には静軒、いらか、古夢、五湖、後槻、楚子、鳩居らが月並会を静軒宅で行い句作に精進、また子規忌や、やみそり会など催して、今から考へると趣味の深い風流味の多い会合をやったものであった。(後略)」と『群像』に記されている。

こうした多才な文学活動をした孝吉には文化人の交遊も多く、夏目漱石、正岡子規、河東碧梧桐、佐藤紅緑、小栗風葉らの書簡、短冊など保管していたが、酒田大火で貴重な文献が灰に帰した。だが幸いなことに、難を免れたわずかの資料が軸仕立で残っている。


 啓 昨夜ハ欠礼
 けふは風も吹き又た用事の都合もあれば
 飯森山行ハやめませう
 六時前来楼を待つ


 二十一日   碧
 鳩居大兄
 侍史
 これは碧梧桐の書簡で、大火でわずかに汚れているが、掛け物にして大切にしており、家族の温かさが感じられた。

(筆者・荘司芳雄 氏/1994年8月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

藤井孝吉(ふじい・こうきち)

文学者。明治2年2月浜田で誕生。漢詩、俳句、論文などで著名人と交遊する。貴重な文献も多くあったが酒田大火で失った。夏目漱石、小栗風葉、泉鏡花の封書と、前述の碧梧桐の書簡だけが残った。封書は本人の直筆で消印が3通とも明治40年。掛け物になっている。亡くなったのが昭和10年1月、67歳であった。

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