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郷土の先人・先覚314 家族の絆で句集 人柄浮き彫りに

本間欽哉(大正12-平成3)

最近短文芸が盛んになり、詩集・歌集・句集など多く出版され同好者の目に触れている。その中で『早春賦』と題する遺句集を読み、深い感動を覚えた。

作者の本間欽哉は高校教師として教育に情熱を傾けながら、俳句や古文書などの趣味を持ち、特に俳句には一段と力を入れた。

俳歴はそう長くはないが、遊佐の遊月吟社に属しており、風物から得る深い知識と、心の豊かさが、生涯を通した作品に現れている。

・背なの子のまどろみ残し早春賦

・ありがたや愚直で通す去年今年

前の句は初めての作で、後の句は亡くなる前の作品と聞いている。次の句は『サンデー毎日』の「サンデー俳句王」に輝いた句である。

・吹き抜ける風もさまざま夏座敷

このように『早春賦』の中には作者のにじみ出るような人柄が浮き彫りにされている。

ところで『本間欽哉遺句集』発刊の裏には、貫かれた家庭の愛情と、献身的に協力した人たちの真心が序文やあとがきに記され、珠玉のような句集となっている。

平成3年4月、欽哉は不幸にもガンに冒されたあとも「俳句で病気が紛らわされる」と、他界する同年10月まで詠んでいたと家族から聞いている。生前自分の句集などまだまだと言っていたが、病状の悪化が見えてきたころ、夫人が子供に贈る句帖を思い付き相談したところ、喜んで賛成してくれたので、句は夫人の手書きで、30句を1冊の句帖にして3冊にまとめ贈ることにした。1冊目は本人の希望で巻名を『でで虫』とした。

・でで虫や模索して行く己が道

2冊目は『風の盆』で、

・亡き父もどこぞに居さう風の盆

3冊目の『早春賦』は死の当日に指定した巻名という。

・背なの子のまどろみ残し早春賦

この3巻の句のほかに残された句の中から60句を選び「沙羅の花」としてまとめ、『早春賦』が無事出来上がったそうである。

(筆者・荘司芳雄 氏/1994年10月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

本間欽哉(ほんま・きんや)

大正12年7月、鵜渡川原村(現・酒田市)犬貝卯之助の五男として生誕。県立酒田中学校から盛岡高等農校教諭となる。趣味は俳句のほか篆刻、囲碁、旅行、古文書などで、特に古文書解読では「戊辰戦争における庄内藩の謝罪交渉」を論文にまとめて発表している。温厚な性格で常に笑顔を絶やさない人であり、ガンという病床にあっても愚痴や苛立ちは一切見せず闘病に前向きに生きたという。平成3年10月、69歳で死去した。

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