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藤沢周平書籍作品あれこれ

春秋山伏記-狐の足あと-(2)

「春秋山伏記-狐の足あと-(1)」 からのつづき

旧櫛引町黒川地区の春日神社の石段

「狐の足あと」の中心になる人物は、権蔵という水呑(みずの)み百姓である。貧乏暮らしで子供は6人いる。女房が春先に病死したため、今年の冬を越せないほど困窮し、とうとう13になった娘を鶴ケ岡の八日町にある女郎屋に売ってしまう。権蔵は無口でおとなしい男であるが、稼ぎのほとんどを飲んでしまうという困った酒好きの男である。娘を売って渡された一両二分という金を鶴ケ岡で一夜にして飲み尽くし、すってんてんになって村へ帰ってきた。

近年は酒癖が悪くて周囲の鼻つまみになっている人というのをあまり見かけなくなったが、昔はこういう親爺(おやじ)がきっといたものである。普段は無口で目立たないが、酒が入ると豹変(ひょうへん)し、説教癖、絡み癖、泣き上戸もあり、必ず誰かとケンカする、というような女や子供に不評の酒飲み男が周りにいた。藤沢さんの作品にも酒癖の悪い男がしばしば登場する。しかも、そういった男の悲哀もよく描き、酒飲みの心理の機微にも触れている。

権蔵はそういった酒癖の悪い男の1人である。権蔵は娘を売った金を懐に入れていたくなかったのだろう。すべてを使い果たし、ようやく正気に戻って村へ帰ったのである。病み上がりの女房と飢えた子供たちを前に追い詰められる権蔵。どうしようもない男であるが、哀愁を誘う。金が食い物を何とかして手に入れなければ、と権蔵は考える。借りるあてがないとなると、当然、非常の手段しかない。権蔵の思いついた手段は「脅し」であった。数年前に鶴ケ岡の町からこの村へやってきて住みついた広太という大男がいる。その女房のさきえに間男がいる、という噂(うわさ)を耳にした権蔵は、その男の正体をつきとめ、脅迫して金を得ようと企(たくら)んだ。その悪企みは成功する。間男をしたのは、村の肝煎(きもいり=今の村長のような立場)の添役(助役のような立場)をしている多三郎の長男で、20過ぎの若者だったからである。間男が貧乏人だったら脅しても何も出ないが、多三郎の家は金持ちである。広太に知られたらその若者は半死半生の目にあうだろうし、多三郎とて添役をやめねばなるまい。村中大騒ぎになるだろう。広太の女房は鶴ケ岡でも間男を作り、広太が相手の男をかたわにしたという噂もある。馬のような長い顔で何か荒稼ぎをしている大男の広太を、村人は「馬ペロ」と陰で呼んで恐れていた。権蔵の脅した相手はどう出るか。この波乱を「狐」の仕業ということにして収めたのが、大鷲坊の知恵と技である。

雪が降っては消えていたのが、やがて根雪となり、長い冬を迎えた野平村。ある雪の朝、真っ白い野原に点々と狐の足跡が広太の家に向かってついている。とても印象的な場面である。美しい女衆に恋をした狐が通った、などという話を今の人間は信じないだろうが、昔は狐が人間たちをよくたぶらかしたものである。庄内にも狐にまつわる民話・伝承は数多い。私も羽黒山や月山の裾野(すその)に棲(す)む狐の悪さ話をいっぱい聞かされて育った。森や草原を敬い畏(おそ)れ、そこに棲む生き物にも神秘の力を認めていた先祖たちの魂が、狐の悪さ話にも息づいている。

『春秋山伏記』には、もうひとつ狐の話がある。「安蔵の嫁」の章に出てくる狐で、こちらは少々性悪狐で、若い娘にとりついて「狐憑(つ)き」にしてしまう。猥雑(わいざつ)でエロチックな雰囲気をも醸し出している傑作である。この作品は、忘れられようとしている庄内弁がたっぷり使われている点も魅力のひとつである。

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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