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藤沢周平書籍作品あれこれ

うらなり与右衛門(1)

鶴岡市街地を流れる内川。現在の山王町・大泉橋のたもとに舟着き場があった。左岸に「芭蕉乗船の跡」の標柱がある

「うらなり与右衛門」は昭和59年に「小説新潮」に発表された作品である。『たそがれ清兵衛』(新潮文庫)には8つの物語がまとめられていて、第1話の「たそがれ清兵衛」と、第8話の「祝(ほ)い人助八」が映画の原作になったことは周知のとおりである。「うらなり与右衛門」はその第2話である。

このシリーズの主人公はみな渾(あだ)名で呼ばれている。ほかには「ごますり」「ど忘れ」「だんまり」「かが泣き」「日和見」といった具合に付けられている。渾名はえてして、人の美点ではなく醜点を取り上げて付けられ、人々の揶揄(やゆ)の対象にされがちである。「うらなり与右衛門」の場合も、顔が「へちまのうらなり」を思わせることから付いたもので、この作品の中で藤沢さんは「ひとは他人の美を見たがらず、むしろ好んでその醜を見たがるものだ」と述べている。嘲(あざけ)ってみたち貶(おとし)めたりしてうっぷん晴らしをしたがる人の心の卑しい面を言い当てている。

そんなふうに何となく冴(さ)えない主人公であるが、この物語はどれも読後感は良い。清々しさ、明るさを感じるのはとても不思議である。その理由は、主人公が他人に侮られようが貶められようが、いっこうに気にせず自分の生き方を貫くこと、また全体に漂うユーモアからくるのだろうと思っていた。藤沢文学の持つ飄逸(ひょういつ)な一面が発揮されている。「うらなり与右衛門」の冒頭などは思わず笑ってしまうようなおかしさがある。例えば、与右衛門の顔は「色青白く細長い顔をしめくくって、ご丁寧にあごのところがちょいとしゃくれている」とか、「大ていの者には子供から大人になるときに一度面変わりがおとずれるものだが、与右衛門の顔には小うらなりが大うらなりに育ったほどの変化しか現れなかったのである」といった具合である。

これらの物語に漂う一種の明るさの原因について、1月26日の「寒梅忌」の折の講演の中で、阿部達児氏が次のようなことをお話しされた。藤沢さんの小説が売れ始めたのは『用心棒日月抄』や『隠し剣』シリーズで大ブレークしてからで、その後は売れに売れた。同じ剣豪ものではあるが、『たそがれ清兵衛』は円熟期に書かれ、『隠し剣』シリーズとは趣が少し異なってきている。『たそがれ-』の作品の方には生活者の姿が描かれ、それによって剣技も一層光る、という深みが出ている。それは藤沢さんが子供のころに読んだワクワクするような、面白い小説を自分も書きたい、という姿勢が表れたからだろう-といった趣旨で、『たそがれ-』シリーズの面白さを解説された。

「うらなり与右衛門(2)」へつづく

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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