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藤沢周平書籍作品あれこれ

義民が駆ける(1)

藤沢周平さんは荘内藩の史実をもとに歴史小説を数編残された。その中で『義民が駆ける』は特別な作品であろう。他の小説と異なり、特定の主人公がいない。文庫本(講談社版)の解説で川村湊氏は、「歴史の群像が主人公」の「社会小説」であり、一種の「全体小説」のようだ、としている。『又蔵の火』や『回天の門』のように1人の人間像を追う小説はわかりやすいが、群像を捉(とら)えるのは難しい。それでいて、『義民が駆ける』を読んだ後、われわれの心には、ここに登場した多くの人間の姿がありありと刻み込まれている。とても不思議な力を持っている作品である。

例えば、この小説の冒頭「三方国替え」に登場する老中主座の水野忠邦の印象は強烈である。日本史で学んだ「天保の改革」の推進者、あるいは時代小説や映画などでは悪役となる目付の鳥居耀蔵(ようかいと呼ばれた)を手先に江戸中を締め上げた男ぐらいの知識しかなかったが、この小説からは水野忠邦の人間くささが伝わってくる。

天保11年11月1日、荘内藩酒井家は越後長岡へ所替えをすべし、という命が下った。それも一対一の交代ではなく、三方国替えという処置であった。その画策をしたのが、老中主座の水野忠邦であり、その時のいきさつが実にわかりやすく説明されている。真相はどうかわからないけれども、実に納得させられる。水野忠邦は辣腕(らつわん)の政治家として権力を振るうが、この時はまだ大御所の家斉と側近の者たちに服従するふりをしている。家斉から、川越藩主の松平斉典(なりのり)を荘内藩に動かすように催促された時、忠邦は酒井家を長岡に移す、単純に荘内と川越の所替えはならぬ、と意見したのであった。忠邦は今後の政治改革の試金石として、いわば幕命を絶対的なものとして服従させるべく、この三方国替えを有無を言わさず実行するつもりだった。さらに荘内藩主の酒井忠器(ただかた)に対して以前から反感を抱いていた、という。「内憂外患」の時代、瞬時も油断できない状況であるのに、「神田大黒」と呼ばれ、その豊かさを喧伝(けんでん)されている忠器に不快感を抱いていたというのである。

「いつかは天下をひしと締め上げてやる、という気持ちを忠邦は胸の奥深いところに納めている。その気持ちから、あまりに遠く遊離した場所で、忠器は気ままに行動しているように思えた」忠邦の陰険な性格まで伝わってくる描写だ。読み手にとっても分かりやすく「裏」が見えてくる。荘内藩も天保11年のころは相次ぐ凶作や幕命による出費で経済状況は悪化していたのに、忠邦の捉え方は一方的すぎる、と憤慨したくもなる。

「夢の浮橋」の中の「大濱江初テ之大より之図」=酒田光丘文庫所蔵

「義民が駆ける(2)」へつづく

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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