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藤沢周平書籍作品あれこれ

玄鳥ほか(2)

「玄鳥ほか(1)」 からのつづき

昔は民家の軒先によく巣をつくったものである。つばめは春の使いとして歓迎されたのである

藤沢周平さんは、理由もなく弱い者を苛むような人間を嫌った。これまで挙げた酒乱で弱い者いじめをするような人間が許し難いのはもちろんであるが、もっと恐いのは、そういうタイプの人間が国のリーダーになったときである。海坂藩にもそういう権力者が描かれることがあるが、実在の人物としては織田信長を挙げている。信長の政治家としての能力は認めつつも、どうしても好きになれない理由として「殺戮(さつりく)」好みの傾向を知り、そこに信長の嗜虐(しぎゃく)的な性向を感じるからだ、と『ふるさとへ廻る六部は』で述べている。ユダヤ人大虐殺という凄惨(せいさん)な歴史をのこしてしまったヒトラーのような為政者は二度と出てほしくないとも。

サイトに挙げたいのは、悪人とは言えない、いや、ごく普通の人間が生活の場で周囲の人を傷つける、という例である。仕事場や家庭などで、友人や家族を傷つけているが、自分では気付かないでいるような人で、有能な型、頭の切れるタイプの人に多いようだ。藤沢さんの作品にはそういう日常生活における人間関係のきしみを描いた場面が多い。海坂藩ものではないが、傑作の1つ『海鳴り』に出てくる女主人公・おこうの夫で、紙問屋「丸子屋」の主人などはこういう人間の典型であろう。

海坂藩ものでは『玄鳥』に登場する末次仲次郎が挙げられる。『玄鳥』の主人公は路という女性である。この路については以前「不幸せな女」というタイトルで紹介したことがあるが、その路の夫が仲次郎である。仲次郎は、200石の、代々物頭を務める家柄の末次家に婿入りし、現在は当主である。実家は350石、御奏者の家柄で、末次家よりもずっと身分が上であった。そのせいか末次家のしきたりや雰囲気を軽く見る傾向があった。今のところは近習組に勤めているがやがては物頭となり、場合によってはさらに出世するだろうと思わせる切れ者である。しかし、この男の性格は「些末なことに異常にこまかく神経を遣う人間」で、冷たいものを持っている。その一例が、末次家の門に巣をつくったつばめに関する仲次郎の反応であった。つばめが営々と巣を造り、ようやく子つばめがかえって、親が喜々としてエサを運び始めたころ、仲次郎はそれを取り壊させる。末次家の門は長屋門である。その門をくぐって客が訪れたとき、とりわけ上役などが訪ねて来たときに粗相をすると大変だから、という理由で、まだ巣立ちもしない子つばめもろとも巣を壊させた。もちろん、自分は城に出かけてしまったので、妻の路と小さな娘が、下男の取り壊す現場を見ることとなる。悲しげに鳴く親鳥の声が何日も耳に入るのも夫の仲次郎は知らない。小さな生命のことなど気にもとめない冷たさがあった。路が子供のころから、この門にはつばめが巣をつくり、家の人たちはだれもそのことを気にしなかったし、むしろ季節の風物詩として楽しみにさえしていた。親子鳥のにぎやかなさえずりは、そのまま路の育った家庭のにぎやかさでもあった。末次家では兄、母が早く亡くなり、父もやがて病死すると、火が消えたとうに寂しくなる。路は二度と帰らない、あのあったかくてにぎやかだった家庭を、独り心に思い出すのである。仲次郎はほかにも、失敗者、下級武士を貶(さげす)む言動を発し、路を悲しませ、傷つけるのであるが、本人は少しも気付いていないところに、この家庭の悲劇がある。こうした人間も藤沢さんの嫌いな人間像であった。

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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