夏の終わりごろから秋にかけて、庄内のあちらこちらで村祭りが催される。村の鎮守さまのお祭りは、豊作の祈願だったり、豊作の報告だったりで、村の生活に密着している。
「境内は、人でごった返していた。鶴ケ岡からきたこんにゃく屋・貝売り・餅屋などが屋台をならべ、独楽(こま)作りの轆轤(ろくろ)の前には、子供たちが黒山のように集まっている。子供たちの笑い声や、叫び声の間を縫って、神社の広間で演じられている神楽の笛・太鼓の音が流れる。」
これは『春秋山伏記』の一節である。死霊がついて歩けなくなった娘おきくを、大鷲坊という山伏が神社へ連れ出したのである。村野神社は年一番の賑(にぎ)わいを見せていて、おきくの頬(ほほ)にも生気がよみがえってくる。そのおきくのところへ村の若者たちがよって来て、口々に冗談を言っておきくを笑わせる。病気だった娘に生きる力がわいてくる大きなきっかけになったのが、祭りの場だった。この神社に来る道すがら、大鷲坊がおきくにこんなことを言っている。
「稲はなして(なぜ)きれいだが。命があって生ぎでいるさげ、きれいだ。わがるがの?稲だって、一所けんめい生ぎださげ、こうして稔(みの)って、きれいに光るようになった」
山伏の大鷲坊は村のさまざまな悩みごとを解決するだめ奮闘するのだが、この病人の娘に対してはカウンセラーの役目をしている。家に閉じこもり、病人になりきっていた娘が外の世界と交感することによって、次第に生気を得てゆく。祭りはそのための絶好の場であった。人は他人との交わりなくしては生きられない。家に閉じこもって外界との接触を断つのは、生の世界を拒むことでもある。大鷲坊は村の人々が最も繋(つな)がりを強め合う祭りの真っ只(ただ)中へ連れ出し、おきくの心を治療した。
「鎮守の森(2)」へつづく