文字サイズ変更



  • プリント用表示
  • 通常画面表示

藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平さんを偲んで

藤沢周平さんの訃報をお聞きしたのは、1月26日の深夜であった。冷え冷えとした雪闇の中で、茫然とした思いを抱きながら、眠れぬまま朝を迎えた。藤沢さんの愛読者は、きっとみんな同じような思いでこのニュースを聞いたことと思う。惜しい方に亡くなられてしまった、残念だ、としか表現しようがない。そんな気持ちである。

1月18日に、鶴岡市立図書館の文学講座「藤沢周平の文学を読む」というテーマで「市井もの」と呼ばれる作品を取り上げたのであるが、熱心な読者が大勢参加され、その作品の魅力を確かめ合ったところだった。あれから10日もたたぬうちに訃報をお聞きすることになるとは思いもしなかったことであり、3回目の講座を前に、沈鬱(ちんうつ)な気持ちを抑えることができない。講師の川本三郎さんも、きっと複雑なご心境のことと思う。

昨年の夏、暑中見舞いを兼ねて、この講座を引き受けた旨の報告のお手紙を差し上げたところ、わざわざ励ましのお言葉でご返事を頂戴し、恐縮しつつも嬉しく、是非この講座を成功させたいと決心したのだった。非力な自分をもどかしく思いながら、勉強し、準備した。今にして思えば、このご返事を頂戴したころはご病状の小康状態の時で、その後また思わしくない状態が続いておられたようだ。そのような闘病のお苦しみの中で手紙を書いて下さったことに、今さらながら恐縮の思いを深めると同時に、律儀で誠実なお人柄を改めて偲んでいる。

藤沢さんの時代小説に出合わなかったら、私は未だに時代小説に対する偏見を捨て切れないでいたであろう。勧善懲悪、荒唐無稽、娯楽性のみが先走り、筋立ても文章も粗さのある読み物、という偏見で凝り固まっていたに違いない。また「江戸時代」への関心や興味の薄かった私が、江戸について勉強をし始め、さらに郷土の歴史ばかりでなく、人々の暮らしなどに魅力を感じ始めたのも、藤沢さんの小説に出合ってからである。新しい世界を拓(ひら)いてもらった、といっても過言ではない。それほど魅力に満ちた作品群だった。「武家もの」「市井もの」「史伝もの」のどれを読んでも、時のたつのを忘れてしまう傑作が並んでいた。

「武家もの」では特に剣士を描いた作品が多いけれども、主人公は宮本武蔵や柳生一族のような超人的非現実的な人物ではない。時には恐妻家で家庭にあっては妻子に軽んじられる男だったり、妙にかがなき(庄内地方のことばで、臆病者、泣き言をいう人の意味)な男で仲間に侮られている男だったり、貧乏で空になった米びつを傾けてため息をついている浪人だったりで、人間臭さが読者に親密感を抱かせる。それに加えて、この剣士たちの誠実な生き方や清廉な心ぶり、また、その時がくれば命を賭して剣の技をみせる潔さに、読み手はひきつけられるのである。英雄や権力者の登場はほとんどない。藤沢さんの文字が「哀切な」人間の姿を描き、現代人の心をつかんだ、と言われる所以だろう。

「市井もの」には商人、職人、無職の男、渡世人など、いろいろな男が登場する。そして、暮らしを支える女がいる。貧しさ、病気、火事などの災厄におびやかされながらも、その日その日を精一杯生きている。江戸時代は、身分制度をはじめとして、厳しい枠組みにはめられて生きなければならぬ時代であった。「人の道(倫)」は明確に定められ、そこからはみ出すことは即ち社会から葬られることを意味した。しかし、藤沢さんの描く庶民は、つつましく暮らしながらも、時には真実を求め、人の道を踏み外すこともある。例えば『海鳴り』には、不義密通の罪におびえながらも本当の愛を求め合う男女の姿が描かれる。紙問屋の店を日本橋本石町に構える主人公の新兵衛は、外から見れば何不自由ない大店の旦那である。同じ紙問屋の老舗のおかみのおこうも、美しい容姿を持ち、恵まれた立場にあるかのようにみえる。この2人が厳しい掟を破ろうとするときの戦慄は、現代のいわゆる不倫ものに描けないものだろう。現代は「人の道」自体が不透明で不確かな時代なので、罪の意識さえも希薄なものになっているからである。時代の制約の中で真摯(しんし)に生きようとする人間の姿は、江戸時代に求められるのかもしれない。

また、例えば『吹く風は秋』という短編には、博打(ばくち)打ちの男が出てくる。老いを感じたこの博徒は、そろそろ足を洗って静かな余生を送りたいと思っているが、渡世人の悲しさで親分にいかさまを命じられる。この老いた博徒は、若い時女房を病気でなくしているのである。

『病気で死んだとき、女房は二十四だった。あわれなことをしたという気持は三十年たったいまも、心の片隅に消えずに残っている。』と、女房のことを思い出し気弱になっている。この博打打ちが、自分の命と引きかえに得た50両の金で1人の遊女を自由の身にしてやる。夕焼け空を寂しそうに眺めていた、あわれな境遇の遊女を苦界から救い出すのである。

『おみちが死んだ年ごろの女たちをみても、いまの弥平は、みんなしあわせでなくちゃな、としみじみ思うのである。』と、この世の中からはクズのように思われている男の優しい気持ち、そしてその裏にある辛酸をあますところなく描いている。作者自身の辛かった経験に裏付けされてもいて、一層哀切な情感を帯び、読む人の心をうつ。

人間像だけでなく、情景描写の的確さ、詩情味あふれる文章の美しさは大きな魅力である。『蝉しぐれ』冒頭の、朝の小川辺の情景は、名文として高い評価を得ているが、私も何度読んでもこのシーンには魅きつけられる。小川の水音、水草や小石の色、初夏の早朝の田の清々しい緑、鳴く準備をしている蝉の瑞々しい羽の色などが鮮やかに浮かんでくる。「海坂藩」の山々は残雪を光らせ、静謐(せいひつ)なたたずまいを見せている。郷愁に似た切なさを、読者はこのような描写から感じ取るのではないだろうか。

江戸の町の情景描写もしかりである。「市井もの」の舞台の多くは、本所深川あたりであるが、隅田川(大川)や、橋の情景が描かれる。川面のきらめき、海近い河口の潮のにおい、橋の上をゆく人々の下駄の音やさざめき、ゆきかう舟の櫓の音、飲み屋の周辺の猥雑(わいざつ)な声、恋人たちのささやきなどが生き生きと感じられる。時を超えて、まるで自分もそこに居るかのように、これこそが小説を読む醍醐味なのではないだろうか。

このような楽しみを私たち読者に残して下さった藤沢さん、そして生まれ育った故郷をこよなく想っていて下さった藤沢さん、もはや新しい作品にお目にかかることはできなくなったけれども、私たちの心に生きる歓びと哀しみ、いのちのいとおしさを教えてくださった数々の名作を心の財産にして、読み継いでゆきたい。いつも作品を通して教えられ、励まされた愛読者のひとりとして、深く感謝申し上げ、心からご冥福をお祈りしたい。

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
(平成9年2月5日付 荘内日報本紙に掲載されたものです。)
トップページへ前のページへもどる
ページの先頭へ

Loading news. please wait...

株式会社 荘内日報社   本社:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町8-29  (私書箱専用〒997-8691) TEL 0235-22-1480
System construction by S-Field