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藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平の作品における風景

1 女たちのいる風景

◇働く女

実によく働く女が出てくる。町衆の女、百姓の女は勿論、武家でも、小禄の家の女、浪人の妻など黙々とよく働く。

例えば『霧の果て-神谷玄次郎捕物控』という作品がある。主人公は神谷玄次郎という北の定町廻り同心の役職にある武士である。江戸の町に起こる数々の事件を解決してゆく筋立ては、「捕物帳」のパターンであるが、この主人公は銭形平次や人形佐七のように颯爽とはしていない。虚無的な翳(かげ)りを持ち、しかも怠け者である。同心であった父親が介入した事件で、上からの命令を受けて探索中止になったことがあり、その事件を追及する最中に、父親は妻と娘(玄次郎にとっての母と妹)が何者かに斬殺された、父親もショックから病死した、という暗い経歴を持つ独り者である。この玄次郎の手下に、銀蔵という岡っ引きがいる。銀蔵の本職は床屋であるが、本業のほうはほとんど女房にまかせっきりで、玄次郎の手先となって働く日夜であり、腕っききの手下である。

この女房の「おみち」の存在が実によい。おみちは働き者の女である。玄次郎が立ち寄ると、この銀蔵の店ではおみちがせっせと働いている。その合い間に台所に立ったり、ぼんやりしていることがほとんどない。玄次郎をいつも温かく迎え、お茶や漬物を出してくれるが、事件の内容について決して口をはさまない。つまり、男の仕事に対して口出しをせず、さりとて冷淡ではなく、そっと支えている、という型の女として描かれている。

また、この神谷玄次郎には、お津世という情婦がいる。この女は小料理屋のおかみ-町衆の女-であるゆえに武士である玄次郎とは結婚できない。夫を殺された事件がきっかけで玄次郎と知り合ったという設定である。このお津世も、子供1人を抱えながら小料理屋をきりもりしており、きびきびとよく働く女である。男をあてにせず、自分の立場をわきまえ、甘えかかったりしないが、女としての魅力をもち、距離をおきながらも玄次郎を愛している。このお津世と、おみちには共通点がある。余計な口出しをしないが、温かみをもち、しかも黙々と働き、しんと落ち着いた女。しかも、可愛げがある女。こういう型の女は藤沢作品に多く描かれていて、しかもどれもがイメージ豊かに生き生きとした魅力ある女として読む人に伝わってくる。こうした女たちの表情やしぐさが、丹念に描写されているからなのだろう。

たとえば、銀蔵の女房、おみちについて次のような描写がある。

煙草のけぶりを吹きながら、玄次郎はおみちの仕事ぶりを見ている。おみちは三十二、三になっているはずだが、子供がいないせいかずいぶん若く見える。美人というのではないが色白の丸顔にも、ぽっちゃりとした小太りの身体つきにも色気がある。襷(たすき)をかけているので、肉づきのいい白い腕が、二の腕までむき出しになっている。 (「酔いどれ死体の章」)

銀蔵の店花床は珍しく休みで、おかみのおみちは台所にいた。

おみちは、亭主の仕事には一切口をさしはさまない女である。玄次郎が来ると、手早くお茶とせんべい菓子を支度してすすめたが、その後は台所にひっこんで姿をみせなかった。

玄次郎の声で、おみちは前掛けで手を拭きふき出て来るとごくろうさまですと言った。 (「日照雨」の章)

江戸の町におこる殺伐とした事件や、神谷玄次郎の探る事件の陰の権力の暗闇など、この小説は全体として闇の部分が濃いのであるが、これらの働く女たち、心根のやさしい女たちが日常を支え、ぬくもりを与えているためか、読後感は仄かな温かさが残る。逆にいえば、働く女たちが支えている「日常性」が、男の立ち向かう暗闇の世界の異常さを際立たせる効果を持つといえよう。

町家の女ばかりでなく「働く女」は武家の中にも多く登場する。『冤罪』という作品がある。微禄15石の勘定方の男が、公金横領の「冤罪」を受け切腹する。その悲運な男に1人の働き者の娘がいて、わずかな石高の下級武士の家計を補うため、庭の隅を畑にして自給自足の暮らしを営むのであるが、その働く姿の描写が大変印象的である。

坂はゆっくりした勾配で、下の雀町の屋並みに消えている。崖下に屋根を連ねているこのあたりの屋敷は、家中の中でも十石止まりの小禄の家が集まっていて、町端れの足軽町の長屋と、規模において大差はない。ただ、足軽長屋と違って、庭だけはゆったりしていて、そこに畑を作っている家が多かった。(中略)

菜園を耕したり、洗い物を干したり、よく働くせいか、顔は小麦色に日焼けしていたが、少し尻上がり気味の眉の下の黒眸が大きく、きっと緊った口をしているのが、美少年をみるような印象を与えた。

貧しくつつましい暮らしを支える働き者の若い娘、しかも突然襲った、父の切腹という悲劇にもたじろがず、運命に従って生きようとする芯の強い少女-このような若い女のイメージは、藤沢作品に、ある共通のイメージとしてしばしば登場するようだ。

傑作といわれる連作もので、『用心棒日月抄』という作品がある。主人公は、剣の腕が立つ青年武士、青江又八郎という男である。北国の出羽街道が出てくるので、荘内藩あたりがモデルと思われるが、架空の小藩を脱藩し、江戸の下町の長屋に隠れ住みながら、用心棒稼業で食いつないでいる。国元の藩のお家騒動が背景にあり、権力争いや公儀隠密との争いなどを太い軸にして、用心棒として垣間見る江戸の町の人間の欲や赤穂浪士たちのうごめきなどを織り込んだ、面白い物語である。この中に登場する女は、「佐知」という名の、強い「女忍者」である。藩士の非違を探るという特殊な任務を持つ「嗅足(かぎあし)組」の女主領なのである。この佐知については、常盤新平が次のように解説の中で述べているので引用させて頂く。

用心棒シリーズの魅力の一つは、佐知という女にある。佐知という女はいいなあと、ある友人が嘆息するように言ったのを聞いたことがある。ちょうど『孤剣』が新潮文庫になったころだった。佐知に惹(ひ)かれて『用心棒日月抄』や『孤剣』を読み返す読者はきっと多いと思う。藤沢文学の読みどころは、男と女の哀切な関係である。(中略)

稼業が用心棒だから、又八郎の住む世界は殺伐として、はなはだ物騒であるが、しかしなぜかほのかに明るくロマンチックである。又八郎の存在そのものが周囲を明るくしているように思われる。(中略)

又八郎と佐知は似合いの男女だが、どちらもおそろしくストイックだ。そこにこの物語のすがすがしさがあるようでもある。佐知は江戸時代のいわばキャリア・ウーマンであるが、可憐であり、その可憐なところを失わず、読みすすむにしたがって、いっそう可憐になってゆく。(新潮文庫『刺客』解説)

と、この小説の魅力をあますところなく語っている。私もこの佐知の生き方には魅かれる。任務に対して命がけで働くが、欲もなく、常に冷静で、自分の運命を見定めた人間の強さと落ち着きをもった女である。この働き者の女佐知のイメージが、先述の『冤罪』の娘と共通する点があるので引用してみたい。

佐知はきりっと髪を結い上げ、ややきつい感じがする美貌が、むしろ以前より若々しくさえ思われる。藍縞の質素な綿服につつまれた身体はほっそりしているが、その内側に変わりない俊敏な働きを秘めているのもみてとれた。(『刺客』)

きりっとした、ほっそりとした働き者の女のイメージは、好ましい女性像として藤沢氏の裡に根付いているように思われる。もう一例あげてみたい。

『泣くな、けい』という、短編でしかも傑作がある。「けい」という娘が次のように描かれる。

掘り出したばかりの山芋のように黒い肌をし、眼ばかり光る百姓娘とだけ見えたが、三年の奉公と…(中略)肌は浅黒いなりにひと皮むいたように光沢を帯び、そうなると眼鼻だちまでわりあいととのっていることに、あらためて気づくようだった。ただ、無口で勝気そうな眼をしているところだけは変わらなかった。

この「けい」も黙々とよく働く娘である。そればかりでなく、主人の窮地を救うため、単身で北国から江戸までを往復するという思い切った行動をとるのである。乞食のような身なりになるほど苛酷な旅をして帰ってきた「けい」。この娘の強さも、ただ気が強いばかりではなく、自分の仕事に対し誠意を尽くす者の強さでもあり、愛する者のために命がけの行為も敢えてやってのける者の強さでもある。その根底にあるのは、「やさしさ」だといえるだろう。このような「好ましい」女のイメージは作者の心の中にどんなふうに育てられてきたものだろうか。

『周平独言』というエッセイ集の中に、氏の「母親」に関する文がある。初めは小作農で、後に、一町二反の自作農になったという生家は、両親が日夜働き、田畑を耕す毎日であっただろう。

ある日私は道ばたの庚申塚の柵の中に入れられて、道の反対側で畑を耕している母を眺めていた。(「母の顔」)

また、五歳ごろのことかと思うが、やはり母と一緒に、今度は県道の向うにある、遠い畑の方に行った日のことをおぼえている。その畑は広く、私はよその家の畑にまで入りこんであちこちと走り回ったあげく、すっかり退屈してしまったが、このとき母がどんなふうにして働いたかは記憶がない(同)

このお母さんは、やさしい人でもあって、村にやってくる物もらい(乞食)に、米をやったあと「入口にかけさせて世間話をした」という人だったという。「(村に来た人々)」故郷の山や川のたたずまいと共にこうした肉親の姿が原風景となって氏の心に納まっているとするならば、「働き者」で「やさしい」女の人のイメージはこのような幼い日の母親のイメージから、遠くないような気がする。夕陽の落ちる西山の色あい、黒くのびた樹木の影、白く光る砂利道、杉林に囲まれた黒々とした村落、その中に、ひっそりと生きる人間のなりわい。こんな風景描写に出逢うとき、私は一種の郷愁に似た感情に誘われる。氏の作品の主人公たちは概ね、恵まれない境遇にある者で、その運命に従って生きる人間であること、黙々と働く女で、しかも愛する者-夫や子供、親や兄弟、あるいは仕えている主人-の危機を救うために、命を賭けることもいとわない、非常に芯の強い女であることが、肯ける気がしてならない。

「耐える女」へ続く 

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
海坂かわら版
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