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藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平の作品における風景

1 女たちのいる風景

◇耐える女

NHKがドラマ化した作品で『獄医 立花登手控え』という作品がある。第一巻『春秋の檻』から第四巻『人間の檻』までのシリーズものである。これは、江戸小伝馬の牢獄に勤める若い医者が主人公である。この男は柔術の名人で、強い。いろいろな事件にかかずらい、時にはならず者と死闘することもあるので、活劇ふうな物語でもある。しかし、この物語の真の主人公は、小伝馬町の牢に入る男や女である。ここにはあらゆる罪がある。人殺し、押し込み、恐喝、誘拐、博奕と、ありとあらゆる犯罪が描き出される。いわば人間の暗黒の世界である。根っこからの悪人、冷酷無比な殺し屋も登場するが、ふとしたことから崖に追い詰められ、罪を犯してしまった男や女、不幸から這い上がろうとして逆に引きずり込まれてしまった薄幸な人間が多く描き出され、人間の陥る深淵の暗闇を見せられる作品である。しかし、主人公の立花登の若さや誠実さ、めっ法な強さ、などが陽となって全体を明るくしているので、読後感はそう重々しくはない。このシリーズの中には女の犯罪者も多く描かれるが、この「罪を犯した女」が哀切で実に良い。一口で言えば、彼女たちは「耐える女」である。

『女牢』という一遍に出てくる女囚「おしの」が、その典型であろう。おしのは出刃で亭主を一突きにして殺した罪で捕らえられ、近々死刑にされる運命にある。主人公の立花登は「女牢」でその女を見て驚く。彼女は人殺しをするような女ではないことを知っていたからである。おしのは、

人眼をひくほどの美人ではない。目鼻だちのおとなしい、むしろ目立たない女である。ただ眼を伏せると、急にもの思わしげな愁いがその顔をつつみ、ふと男心をひきつける

ような「おとなしい女」であって、

女はこういう場所とはもっとも縁遠い人間に見えた

まじめな働き者だったのである。殺された亭主は「遊び人」であり、博奕に手を出す「ろくでなし」であった。2人が暮らしていた裏店のおかみ連中もおしのには同情的であり、夜おそくまで働いて生活を支えていたことを認めている。ろくでなしの男が遊びの金に窮して自分を売ってしまったということを知ったおしのは、「この世に望みを絶ち」、地獄へ落ちることさえいとわず、思い切った所業に及ぶのである。そして、その後はすべてをあきらめて、今はひっそりと牢の中に座って「死」を待っている。耐えていた女が、一挙に激しく噴き出す炎に焼かれてしまうのである。

また、「風の道」という章がある。ここに出て来る女は、牢に入った自分の亭主をじっと待っている。島送りになれば、何十年待つことになるのか見当もつかない。しかも、亭主といっしょに押し込みを働き、自分だけ逃げた悪党が、口封じのために自分の命を狙っていることを立花登に教えられ、長屋を移るように勧められても決して動こうとしない。真面目な傘張り職人だった男が悪事に誘われたのは、女房である自分が病気をしてお金が欲しかったせいだと考えているのである。この女は、たとえ島送りになって何十年たったとしても、「命があってもどって来れば、何年経とうとかまいやしません。そのときに、あたしはこの家であのひとを迎えてやりたいんです。こんな家ですけど…。」というのである。結局、亭主は牢の中で悪党の一味の手によって殺され、女も襲われるが、立花登によって危急を脱する。このような場面でも女は泣き騒いだりしない。この終章の描写が印象的である。

「今夜も働きに行くのかね」

「ええ」

女は登を見た。暗い眼に、夕映えの光が映っていた。

「食わずにも、いられませんから」

鶴吉の女房は、つぶやくように言うと、頭をさげて背をむけた。馬場わきの道に風が吹いていた。風の中を、ほっそりとした女のうしろ姿が遠ざかって行った。

このような「耐える女」のイメージもまた作品の中に精彩を放って、先の「働く女」と同じく、多く登場している。「耐える女」は風雪に耐えながら、ひっそりと咲く冬の花のように、はかなげでいて強い。泣いたり、わめいたり、騒いだりせず、与えられた運命に従う、受動的な生き方のようであるが、内には激しい意志を秘めている女の姿がある。

「働く女」でもとりあげた『用心棒日月抄』には、「佐知」の他にもうひとり重要な女性がいる。名は「由亀」といい、主人公・青江又八郎の許婚である。夫になるはずの男が、自分の父を斬って脱藩した。父の仇でもある男を、由亀はひたすら待ち続けるのである。しかも、自分の家を捨てて、青江の家にゆき、そこで1人留守をする又八郎の祖母を助けながら、細々とした暮らしを支えていく女である。おっとりとした、素直な女であり、しかも意思の強いものを持ち、愛する人を信じて待ち続ける由亀も、「耐える女」である。一体どこにこうした「耐える力」を秘めているのだろうか。作者は女の不思議さをこんな点にも追い求めているのではないか。

「耐える女」が献身的な形ばかり描かれるのであれば、それは平坦な女像であり、男にとって理想の型にはめられた、単一的なイメージしか生まれてこない。しかし、藤沢作品の女たちは、もっと複雑であり、複雑な人間同士のしがらみの中で変貌して一気に燃え上がろうとする情念の炎を抱いている女なのである。

例えば、長編『海鳴り』に登場する紙問屋「丸子屋」のおかみ「おこう」は、こうした女像のひとつである。「おこう」は、世間体を気にする夫や冷たい姑の仕うちに耐えながら、表面的には幸せな老舗のおかみの役を演じる。しかし、ふとしたきっかけで知り合った同じ紙問屋の「小野屋」新兵衛と心を通わせ、ついには駆け落ちをする、という女として描かれている。この男女は、思慮分別もそれ相応にわきまえた中年の男女であり、老い先もそう長いわけでなく、当時の倫理上も法律上も今より遥かに厳しい掟がある状況を十分知っていながら、あえて不義に走る、という筋立てである。この小説は、この男女の心理描写と暗い夜の闇の風景描写とが緻密(ちみつ)である。「耐える女」の持つ、もうひとつの恐ろしさが描かれており、人間関係のやり切れなさの中で炎を抑えようとして抑え切れない生々しい1人の女の息づかいが感じられる。

「わがままな女1」へ続く 

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
海坂かわら版
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