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藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平の作品における風景

2 ふるさとの風景

◇小説に描かれた郷土の風景

  1. 鶴ケ岡城下から南に半里ほど行ったところに、小真木野と呼ぶ広大な原野がある。その奥にまた村が展(ひら)け、金峰山と呼ぶ山伏の修験場で知られる山の麓(ふもと)に、高坂、青竜寺などの村落があるが小真木野の一帯は、高台のために未だ狐狸が出没する場所である。

    その小真木野で、里の者が天狗を見たという。ある夜鶴ケ岡から高坂に帰る三人連れの百姓が、月に光る芒(すすき)の原を分けて疾駆する天狗を見たのである。

    (『ただ一撃』)

  2. 鶴ケ岡の町の西端をなぞる青竜寺川は、番田(ばんで)村を過ぎたところで水流は三つに裂け、本流も水深が浅く、人工的な優しさを両岸に加える。土地の人はこのあたりを番田川と呼ぶのである。

    短い橋を又蔵は渡った。

    川を渡ったところから八日町の町並みが続くが、左側にぎっしり軒をならべる足軽屋敷にくらべ、道の右側は村八日町と呼ばれる百姓家の集落で、ところどころ庭とも畑ともつかない空地が目立った。空地に黄色く新藁を積んだにおがあるのは、稲の収穫が進んでいるのである。

    だが突き当たりの鍛治町の木戸口まで、ほぼ真っ直ぐに見通せる道の上に、まだ人影は見えない。日射しが耀(かがや)きを加えはじめた路上に、微かな炊飯の匂いが流れているだけで、町はある場所で眼覚め、ある場所はまだ眠っていた。

    (『又蔵の火』)

  3. 海の上からみると、丘陵は中腹から上が、笠をかぶったように雲に覆われ、傾いた山肌や、その下の磯にへばりつくように塊(かたま)っている油戸、今泉の漁村が薄暗く見える。加茂の湊は、海に突き出した荒崎の岬に遮(さえぎ)られてみえず、向かいあう獅子岩、地獄岩の端がのぞいているだけだったが、雲はそのあたりにも薄暗く影を落としていた。陸を覆う雲の端は、高館山の北までのびている。

    だが雲は平べったく丘陵の上にとどまっているだけで、その上には一片の翳(かげ)りもない青空がひろがっている。昨夜一晩吹き荒れた嵐は、既に間違いなく北に去っていた。陸(おか)の上の雲も、うすみどり色に濁り、泡立っている波も、その名残りで、新しい嵐の前触れではない。

    (『龍を見た男』)

  4. 境内には高張提灯が幾張もかかげられ、その下を、この村にこんな人がいたかと思うほど、ごった返して人が歩いていた。

    境内の一角には、鶴ケ岡からきた煎餅焼き、こんにゃく煮、絵草紙屋、人形あやつりの屋台が、裸蝋燭の灯のきらびやかに並び、まわりには子供たちは群れている。そのそばの土俵の上では、村の若者たちが奉納の勝ち抜き相撲に夢中で、集まった村びとの喚声を浴びていた。その間にも人びとは渦を巻くように境内を歩きまわり、子供たちは明るいところから暗がりへ、暗がりから灯の下へと、めまぐるしく走り回っていた。(中略)

    この村には、山が三方から迫っていた。うしろは月山の深い山懐だった。左手には赤川の上流をさかのぼった奥に、広大な山域が広がっていた。そして川向こうには、平地をはさんで母狩山、湯ノ沢岳、三方倉山、麻耶山とつづく山系があった。三つの山系は、南の山岳地帯でひとつに落ち合い、化穴山、以東岳、寒江山、朝日岳とつらなる羽越国境の山岳群となる。人跡稀な山地だった。

    (『春秋山伏記』)

「小説に描かれた郷土の風景・後編」へ続く 

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
海坂かわら版
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