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藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平を語る

海坂藩と荘内藩(上)

ここでちょっと話が飛びまして、海坂藩と荘内藩についてお話ししたいと思います。まず、海坂という名前は藤沢さんの初期の作品『暗殺の年輪』にすでに出てきます。この海坂藩はずっと北の国、江戸から見ればずっと遥か北の方の小さな藩という設定で出てきます。武家ものの舞台は殆どこの海坂藩です。海坂藩という名前は、自分が肺結核で療養している時に俳句を投稿していた雑誌の名前が「海坂」だったんです。その名前が素敵だったので、自分が作る小説の藩の名前にもらったというんですね。『静かな木』という、新潮社から出ました短編集があるんですが、それには海坂藩の支藩で海下藩というのも出てきます。海坂という言葉は素敵な響きがありますが、早く言えば水平線といいましょうか、海の向こうにある坂のようなところ、私達がイメージすれば水平線という意味でしょうか。何となくロマンがありますね。評論家なども上手い命名だと言っています。この海坂藩はどういうところなのかといいますと、まず、三方を山で囲まれている。そして一方には、西の方、北の方といろいろ変わるんですが、海が開けている。庄内もそうなわけです。三方を山で囲まれて一方には海が、日本海が西の方に開けている。そして、石高は変わるんですが、『暗殺の年輪』では7万石、それから『用心棒…』とか『三屋清左衛門残日録』『蝉しぐれ』では12、13万石から14万石、ほぼ荘内藩と同じ位の、そういう藩ですね。しょっちゅうお家騒動がある。権力争いは何処の藩にもあったと思うんですが、藩主を毒殺しようとするような権力争いまであって、幕府に聞こえるとお家が取り潰されそうな危険もあったようなごたごたがしょっちゅうあると、これは荘内藩にもかなりあったらしいですね。そのごたごたに巻き込まれて腹切ったの殺されたのという話はあったようです。『暗殺の年輪』が既にそうで、お金や権力のない下級武士なんですが、家老同士の権力争いに親子二代にわたって巻き込まれまして、葛西馨之助という主人公ですけれども、嶺岡兵庫という家老を殺してくれと頼まれて、あいつは藩の諸悪の根源だから暗殺するしかないんだと、おまえの父親もあいつの手に掛って殺されたんだから、みたいなことを言われて騙されて刺客になるんです。けれども、それはまったく自分を利用して政敵をやっつけようとする企みだったことが分かり、武士を捨てるというストーリーです。

「藤沢周平を語る6 海坂藩と荘内藩(下)」へ続く 

(山形県高等学校司書研修会講演より)

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
海坂かわら版
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