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郷土の先人・先覚244 日本の馬博士

堀三悌(明治21-昭和40年)

堀三悌氏の写真

鶴岡市が生んだ日本の馬の権威・堀三悌さんのことは、一部専門家を除けば一般ではあまり知られていないのではないか。

私が地方新聞の記者時代のことである。確か昭和28年の暮れごろと思うが、午歳(うまどし)の新年を迎えるに当たって、馬のことについて囲いものの記事を新聞紙面に掲載する予定で、当時鶴岡市最上町(現・鶴岡市錦町)の斎藤伊豆生校長先生方の2階建て貸家に住まわれていた堀三悌さんを訪ねてインタビューを試みたことがあった。

堀さんは鶴岡市家中新町生まれで、鶴岡中学を経て現在の東京大学の前身である東京帝国大学農科を卒業し、農商務省の技官になった。以来国の熊本種馬牧場長をはじめ、青森県の通称青森牧場こと奥羽種馬牧場長などを歴任し、昭和3年の全国馬匹博覧会では審査員を務めたわが国の馬匹界の権威である。

知らない方は、「なんだ牧場の場長か」と思われるかもしれないが、どうして勅任官(高等官僚)で当時の青森県知事よりも官位は上で、軍人の中将相当だったという。以前、三沢市にある同牧場が報道されたが、その時にかつて場長が外出の際に乗った菊の御紋入りの黒くピカピカの立派な馬車が映し出され、場長が青森県庁に行く時には青森県知事は県庁の玄関前に出て出迎えたということだったから、当時はいかにその権威が高かったかは察するにあまりあるだろう。堀さんは退官後に日本馬事会の役員もしている。

私は自分の家の近所で、朝夕よく顔を合わせていることもあって、いたって気軽にその門をたたき、訪問の趣旨を語った。

すると、開口一番「馬の種類をどれだけ御存知ですか」と聞かれた。私も突然だったのと、不用意でついどぎまぎしていたら「馬の種類も分からない人に馬の話をしてもどうにもならんでしょう。ひとつ勉強してから来て下さい」と、体よく玄関払いされた。早速図書館に行ったりして調べ、数日後再び訪問したら快くインタビューに応じてくれた。

堀さんのところには、よく鶴岡市長だった加藤精三さんや山口戌吉さんらが来て歓談したり、囲碁を打ったりしていたし、そく家畜商の人たちが馬を引いてきては見てもらったりしていたが、身の丈高く骨格たくましい堀さんは、馬を見るときは生き返ったように腰が伸び生き生きとしていた。

インタビューの中で「日本は敗戦し、良い馬は軍馬として外国などにみんな置いてきた。今にきっと東京でオリンピックが開かれるだろうが、このままでは馬術や近代五種競技に出して勝てるサラブレッドやアラブ系の名馬はいない。名馬は1年や2年ではつくれない。早く良い種馬を本場の欧州から輸入し生産育成しないとことには日本は世界から取り残される」と心から心配されていた。また、「日本には東京上のにある高村光雲作の楠公の馬上姿から随分馬の銅像や馬の床置き物が多いが、馬を知っている自分からみるとその馬の姿態に誤りが多い」と語った。そして、堀さんが助言し作者自身が長期間牧場で実際に馬とともに生活してもらい、馬を良く観察させて作らせたという馬の彫刻で、堀さんが秀作中の秀作と太鼓判を押していた、確か文化勲章受章の彫刻家・朝倉文夫さんの作だったと思うが、その馬の彫刻作品を前にした堀さんを私が撮影した写真があったので、この文を書き掲載することにした。

堀さんは昭和40年2月に77歳で名古屋で亡くなったが、私が知った戦後の20年代は鶴岡での恩給最高受給者で、自宅に山積していた英文の原書の本や雑誌をよく読んでいたし、品高く古武士的風貌の孤高の人だった。夫人は当時は食糧品を買うのに夫から「絶対闇では買うな。闇で買ったもので生きなくともいい」といわれながらも、当時は闇でしか食糧は得られず、夫の体を心配して隠れて食糧品を買って来ては夫に食べさせ、時には夫には知らせないように自らの食を減らして夫に与えることも再三、ご自身は栄養失調がもとの脚気で倒れた時さえあった夫思いの夫人だったことを記憶している。

(筆者・富樫勝司 氏/1991年5月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

堀三悌(ほり・さんてい)

勅任技師でわが国の馬匹の権威。明治21年、鶴岡の古物商・堀三政の長男として生まれる。荘内中学、東京帝国大学農科卒業。馬政局十勝種馬牧場などに勤務後、大正8年農商務省技師。宮崎・熊本を経て十勝・岩手・日高・奥羽などの種馬牧場長を歴任。のち農林省勅任技師。この間、馬政関係の調査研究のため欧米に出張。昭和3年、御大典記念馬匹博覧会審査官を務めた。退官後、日本馬事会役員。昭和40年3月13日、77歳で亡くなった。

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