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郷土の先人・先覚347 日常巧みにとらえた川柳

佐藤山椒亭(明治41-平成9)

佐藤山椒亭(本名・三郎)は、文化人・良次と母・巻江の三男として明治41(1908)年3月に生まれた。後年川柳に情熱を傾け、山椒亭のペンネームで活躍した人で、少年時代は新庄中学に学び、その後酒田新聞社に入社、主幹である父・良次のもとで記者として活動する。

戦後は自ら「週刊酒田」を発行、正確な目で社会を見つめ、ジャーナリストとして縦横無尽にペンを走らせている。そのころ、同紙に川柳欄を設け同好の人に呼び掛けた。これが川柳の土壌に役立ち、やがて愛好者の投句が多くなり、川柳欄をにぎわすようになった。

そして、昭和26年に山椒亭ら主力メンバーが、古川柳を学ぶ「だろう会」を作り『柳多留(やなぎだる)』の研究を始めたが、同27年には古川柳から現代川柳の実作に転じ「酒田川柳会」として発足、寺町(現在の寿町)の大信寺を会場に月例句会を続けている。その中から山椒亭の句を抜粋してみる。

・迷惑を承知で記者はまかりいで

・はなむけに記事の上では美人にし

・のこのこと出てサッと撮るカメラマン

どれも記者の日常の出来事を巧みにとらえ、また郷土史家としては次の句がある。

・このへんに出ていた筈と古新聞

お手のものの時事川柳では、

・転んでもただでは起きない政治力

その他、日常生活を詠んだ伝統川柳をあげてみる。

・厄介なようで待たれる孫の顔

・散歩でもしてきなさいと追い出され

・長尻と知って食事をしてしまい

・このへんで耳打ちをして席を立ち

川柳の三要素とは滑稽味、皮肉味=穿ち=、軽味=禅味=で、古川柳を学んだ山椒亭川柳にはこれが生かされ、五七五のリズムを崩さない格調の高い句が多い。能弁ではないが、とつとつと語る言葉には蘊蓄(うんちく)のひらめきを感じたものである。

晩年は多くの役職を辞し、出歩くことも少ないというが、川柳の例会には欠かさず出席、楽しく過ごした思い出は追憶の彼方に消え去った。

ペンネームの由来は住んでいた住所が山椒小路(現・本町一丁目周辺)で、長年親しんだ地名を川柳号にしたという。

なお、この欄では著名な文化人としての活動や業績を割愛し、川柳のみに絞って記した。

(筆者・荘司芳雄 氏/1997年9月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

佐藤山椒亭(さとう・さんしょうてい)

本名・三郎。誰からも親しまれ、文化の発展に寄与した文化人である。本間美術館館長、酒田市文化団体会議議長、酒田市文化財保護審議会委員長などの役職は枚挙にいとまないほどで、その功績を評価され、高山樗牛賞、斎藤茂吉文化賞、阿部次郎文化賞、酒田市政功労表彰など多数の栄誉を受けている。

著書に『酒田の本間家』、『庄内藩酒井家』、『酒田の今昔』などがある。平成9年死去。89歳だった。

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