そこで、まず第二次産業革命という視点から見てみますと、今の日本のほとんどの地域は、先ほど申しましたように「問題のないのが問題」です。全国的に郊外化が進み、人々のライフスタイルは画一化している。どこに行っても同じような郊外の店があり、1人1台車を持ち、道路も相当よく整備されていて快適に走ることができる。三浦展さんは、そういう画一化された風土のことを「ファストフード」をもじって「ファスト風土」と呼んでいます。どの地域にいてもテレビやインターネットがあるわけですから、いろいろな情報やファッションも簡単に伝達されていきます。ここ鶴岡でいえば2時間ほどあれば仙台に行ってショッピングができるし、飛行機に乗れば1時間で東京にも行ける。しかも、そこそこの豊かさも持ち、物価も安い。ですから、楽しようと思えば楽に暮らせる。家電も携帯もゲーム機もありますから、特に若い人たちはそれなりに楽しい毎日を送っている。値段の高いブランド物を買いあさらなくても、そこそこのもので満足していれば、別に暮らしに困ることはない。そういう若者たちのあり方を若い評論家・哲学者である東浩紀さんは「動物化してきている」というとらえ方をしています。
動物化しているというのは、例えば権力を握りたいとか、事業を興して成功したいとか、こういう焼けつくような欲望はなく、おなかが空けば何か食べたい、のどが渇けば何か飲みたい、そういう欲求さえ満足されれば、それで満足している。なんのかんのと束縛をされるとか、「将来のために頑張れ。今頑張っておけば君の未来は開けるぞ」とか言われることを嫌う。そう言われれば「だって親は頑張ってそういうことをしたのにリストラされたじゃないの。何で私に今そんなことを言うんですか」と言い返します。仕事を探す必要さえない。いわゆる「ニート」としての生活でも、おなかを空かせる心配はない。そう考えますと、何となくのんびりやっていれば、そこそこの暮らしができるということになるでしょう。そして、戦後の高度経済成長に代表される第二次産業革命というのは、まさにそういう結果をもたらそうとして、頑張ってきた過程だったとも言えるわけですね。富を一方では吸い上げますが、他方ではそれを全国に配分をして、それなりに平等な生活を支えてきた。ただ、そうした構造を今後も20年、30年と保ち続けていけるのか、と考えるとそれはとても無理です。そして今は郊外化が進んでいて、車で郊外に行って買い物をしています。しかし、これも高齢化がさらに進み、子供の数が減少することになれば郊外はもちません。必ず廃れていく。今せっせと郊外化を進めているのは将来廃虚をつくるための努力を一生懸命していることだ、と言わざるを得ません。というのが第二次産業革命の成熟・定着・爛熟という観点から見た地域の現状です。
そしてその中で、今からちょうど20年前、日本は1人当たりの国内総生産が世界1位になり、そのさらに20年前には全体の国内総生産が世界2位になりました。明治から100年で世界2位の経済大国になったけれど、批判的な評論家は当時「しかし、1人当たりだとまだ18位じゃないか」と言いました。でも、このまま上昇していけば1人当たりの国内総生産の順位も当然上がるはずで、実際その通りになりました。めでたくと言っていいか悪いか分かりませんが、ついに世界第1位となり、その状態が6、7年続きました。1993年まで世界第1位でした。しかし、後はつるべ落としに下がっていき、2005年には第14位にまで落ちてしまいました。今はたぶん17、18位くらいでしょうか。高度成長の終わりごろとほぼ同じところまで下がってきた、ということかもしれません。それに対して、財政赤字の方は依然として拡大の一途をたどっています。この10年でほとんど倍近くになっています。経済成長の方は、この図は名目成長率ですが、90年代の後半は事実上ゼロ成長。最近少し持ち直して1%、2%というところまできていますが、30年、40年前はふた桁成長が当たり前でしたから、いまやそれは夢のまた夢です。実質成長率でみると、デフレのおかげで名目ゼロでも実質はプラスで計算されますから、若干高めの数字になって、2%成長といったようなところですが、昔日の面影はありません。
◇ ◇