映画「たそがれ清兵衛」を観た。藤沢周平さんの作品3つをもとにして作られた、新しい「たそがれ清兵衛」の像がそこには描かれていた。幕末の庄内の風景はこんなふうだったのだろうと思わせる懐かしい情緒も醸し出されていた。やはり原作の3つをぜひ読み、映画の「たそがれ清兵衛」と比べられることをお勧めしたい。以前、『竹光始末』を書いたので、今回はほかの2作品について述べてみたい。
たそがれ清兵衛こと井口清兵衛は無欲の人である。禄はわずかに50石。勘定組に勤めている30半ばの男である。両親は早くに病死し、兄弟もいない。妻の奈美も5歳のころ、両親に死なれ、遠縁にあたる井口家に引き取られた孤独な身の上だった。2人はほかに頼れる身内がなく、お互いが頼り合って生きてきたのである。その妻が労咳(ろうがい)にかかってしまい、医師の見立てによると「転地して、うまいものを喰(く)わせれば、半分方なおる」というものだったが、そんな余裕もなく暮らしに追われているうちに奈美は次第に弱り、一人では歩くことさえできない状態になってしまった。
清兵衛は同僚たちに「たそがれ」とあだ名をつけられ、軽んじられながらも、妻の介護や家事万端のため、毎日、仕事が終わると下城の太鼓の音とともにそそくさと帰るのである。清兵衛の暮らしは楽ではない。虫籠(むしかご)づくりの内職をしても追いつかない。清貧というにはいささか貧しすぎる暮らしであるが、清兵衛は何とかお金を工面して山麓(ろく)の湯宿で奈美を湯治させたいと考えていて、こういう日常をくよくよ考えている様子はない。子供もいない2人の生活は坦々(たんたん)と過ぎるかのように見えた。
ところが、清兵衛は藩の権力闘争に巻き込まれることとなる。海坂(うなさか)藩の家老・杉山頼母に呼ばれ、もう一派の権力者、堀将監を斬(き)るように命じられる。首尾よくいけば加増してやるという杉山家老の言葉にも、清兵衛は首をふらずその役目を辞退した。杉山は妻の奈美に良医を紹介する、また鶴ノ木湯で湯治をさせてやる、といった条件を出す一方で、これは藩命だと脅したりして、ようやく清兵衛を承諾させた。それも下城して家に帰り、妻の尿(しし)の始末をしてから再び登城して、その任に当たってもよいという約束をした上で承諾するのである。
その当日、なかなか現れない清兵衛に、杉山はいらいらしながら「一藩の危機と女房の病気の、どちらを大事だと思っているのか」と胸の中で罵(ののし)るのだが、清兵衛にとって大切なのは女房の方にきまっている。討っ手に選ばれたことをこの上ない迷惑と感じているのだ。そこには武家の建前である「お家大事」や「名誉第一」といったものはない。ただ上役の命には逆らえないという掟(おきて)に従っただけである。このような姿には、藤沢周平さんの描く「人間としての武士」が感じられる。映画の脚本も書いた山田洋次氏の挨拶(あいさつ)の中に「今の日本人が忘れてしまっている、自分の身の丈に合った暮らしを大切にする気持ち」を描きたかった、という言葉があった。原作の井口清兵衛の生き方からそれを読み取られたのであろう。
さて、もう一作の『祝(ほ)い人(と)助八』は、その原作のストーリーの大半が映画「たそがれ清兵衛」に取り込まれている。主人公の伊部助八は30石の御蔵役。海坂藩の兵糧蔵の小頭を務め、中に積み上げられた兵糧米や棒鱈(ぼうだら)などの管理を任されている。その助八が藩主のお蔵視察の折、垢(あか)じみた体から悪臭を放っているのをとがめられ、「家中は庶民の範、むさくるしいのはいかんぞ」と叱(しか)られる話や、友人の妹にからむ乱暴者の男を白木の棒ひとつで叩(たた)きのめした話、また、その果し合いが城下で評判となり、結局上役からある男を討ってこいと命じられ、死闘を演じることになる話など、映画でも用いられている。宮沢りえさん扮(ふん)する友人の妹は、嫁ぎ先で夫に苛(いじ)められて逃げ帰り、離縁したのにその男が実家に押しかけて来ては乱暴を働く、といった点も同じである。
ところで、この原作の方の助八は『たそがれ清兵衛』の主人公の清兵衛とは随分と趣を異にする。助八はとても「ぐうたら」な毎日を送っている。垢じみた衣服、ひげも剃(そ)らずに登城するので「祝い人」といわれている。そのだらしのない生活ぶりは、助八が2年前に妻に先立たれ、男やもめだからと周囲の人は思っているが、実は違っていた。妻の宇根は100石という家柄の実家をいつも自慢し、「出世なさいまし」と口うるさく責め立てる悪妻だった。その妻が病死すると、助八の心のタガが一気にはずれてしまった、そのためぐうたらな生活になった、というのである。自由な毎日に満足し、もう二度と結婚はしたくない、などと思っている助八の姿には思わず笑いがこみ上げてくる。侘(わび)しい男やもめの暮らしで傷心しているのかと見る世間の目に対し、意外な真相を心に秘めている助八。こんなふうに複雑でちょっぴり滑稽(こっけい)な人間像を描く藤沢さんの筆は冴(さ)え渡る。
このシリーズには8作ほどあるが、そのどれもユーモアを含んだ、奥深い人間像が描かれていて傑作ぞろいである。