『春秋山伏記』の舞台は櫛引通野平村(のひらむら)である。この物語には月山や赤川、羽黒といった実際の地名がそのまま登場しているが、野平村は架空の名前である。赤川の東側で、田畑ばかりに囲まれている村、と説明があるので、現在の鶴岡市朝日地区の東岩本あたりから櫛引の黒川地区一帯のどこかを想像しながら読み進めてもよいだろう。作中にこんな描写がある。
「日は東の空にそびえる月山の右肩あたりにじっととどまっている。月山の頂きには、一度雪が降ったが、そのあと好天が続いたので、山巓(さんてん)はいまは灰色の枯れた山肌を光らせているだけだった。山脈の北の端にある鳥海山は、山頂近くをねずみ色の雲に覆われて、頂きは見えなかった」(「狐(きつね)の足あと」より)
庄内の南部地域からよく見られる晩秋の光景が描かれている。『春秋山伏記』の冒頭に登場する「おとし」は赤川の近くの畑で仕事を終えて帰る途中、娘が川の淵(ふち)に落ちそうになり、あやういところを山伏に助けられる。そのおとしは野平村から3里も川上の山村に一度嫁にゆき、山の暮らしをした、とも書かれている。その山の村は大鳥川か梵字川かを遡(さかのぼ)ったどこかの村をイメージさせる。その山の村でおとしの夫は熊撃ちに出た時に沢に転落して死んだ。おとしは幼い娘を連れて再び野平村に戻り、母親と3人で暮らしている。この物語全体の女主人公的な存在である。
主人公は羽黒からやって来た大鷲坊という山伏である。村の薬師神社の別当に任ぜられ、村に居住し、村人のさまざまな願いごとに応じて祈祷(きとう)をしたり、病気の治療などもしたりと大活躍をする。里山伏という人の役割がよくわかって面白い。しかし、この物語の本当の主人公は野平村の人々である。さまざまな人間模様を繰り広げてゆく村の人々の姿こそ、この物語の面白さの核をなしているからである。若い衆から年老いた男女まで、「村」という一種の閉鎖された社会の中で生きている姿は、読者にある時は懐かしさを、ある時は郷愁を感じさせてくれる。今回は第2章の「狐の足あと」に焦点を当てて、野平村の人々を見てみたい。