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藤沢周平書籍作品あれこれ

義民が駆ける(2)

「義民が駆ける(1)」 からのつづき

この忠邦の「有無を言わせない」はずの幕命がひっくり返り、逆に権威の土台を揺さぶってゆく一つの波となることを思うと、この忠邦像は興味深く読める。

続いて『義民が駆ける』に登場する人々では、江戸で留守を預かっている世子の忠発とその周りの人々がいる。そして、国元へ急使が到着したのが11月7日。藩主をはじめ城中の人々を驚かせたこの国替えの命。江戸と国元の人々を交互に描いて、困惑を伝える。いよいよ農民が越訴(おっそ)の行動をおこすまで、作者は為政者側の動きを丁寧に押さえる。多くの人間に興味がわくけれども、今回は酒田の本間光暉の描写を拾い上げてみたい。

農民を江戸に走らせた黒幕とも言われる本間をどんな目で藤沢さんは捉えているのだろうか。「海坂(うなさか)藩」という士道ものの中では、藩の権力者に利用されたり、あるいは利用したりして富を築き、「藩内に殿さまが二人いるようだ」と言われるような大地主に育ってゆく本間家。当主は本間光暉で、11月11日に鶴ケ岡城で藩主・忠器と会い、家老の松平甚三郎に「3万両」を準備するよう言われた。このときの光暉は商人らしい計算で「用立てる金が、居座りに役立てば、それ以上のことはない。よしんば長岡に転封する費用に使われても、藩との繋がりが完全に切れるわけではない」と考えた。しかし、その後、郡代詰所で1人の藩士に「噂(うわさ)では、本間どのはつねに二、三十万両の貯(たくわ)えを用意してござるそうですな」と真顔で言われたとき、光暉に大きな変化が生じた。さらに2日後、再び家老の松平に会って8万両の金を用意してほしいと言われたとき、はっきり「根こそぎ財産を取り上げるつもり」でいる藩の本心を知り、「胸が凍るのを感じた」そして、国替えという「公の命令を楯(たて)に本間の緊縛から遁(のが)れ得る機会」を得た藩と藩士の冷ややかな目を感じ取った。そして、自分の立場-士農工商という町人蔑視のその一町人にすぎない立場-をひしひしと感じている。その後、どんな行動を取って自分たちの財産を守ろうとするのか、読者にとっても気になるところである。

第3章「駕籠訴(かごそ)」では遊佐郷升川村出身の佐藤藤佐(とうすけ)の目を通して本間光暉が語られている。天保11年の年の暮れに江戸へ上った光暉は、佐藤藤佐や白崎五右衛門に会い、財産保全の相談や、今後の見通しを話した。その時、「にこにこと彼の話に耳を傾けていた」光暉を思い出しながら、藤佐がふと抱いた疑惑。多くの百姓を江戸に送り出す金主は、本間か、という疑いであった。この物語ではその後、本間光暉についての描写はほとんどないが、この直後、川北の百姓による駕籠訴は成功する、という筋立てになっていて、本間光暉の役割を暗示している。このように、生きた人間を甦(よみがえ)らせて歴史の面白さと不可解さを教えてくれる、何度読んでも、その都度、発見のある作品である。

本間家旧本邸と六所神社の写真
(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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