「二の丸の桜(1)」 からのつづき
「先々代の殿、七十五まで長生きなされた雲覚院さまはさばけたお方で、春の花の季節になると、家中の女子どもがお城の二ノ丸まで入るのをお許しなされた。いまは花見と申せば町人にまじって町はずれの面立川の堤の桜を見るだけ、それも下士の家の者はともかく、名のある家の女子は花の下で重箱をひらくなどは思いもよらず、面を頭巾につつんで供にせつかれながら早々に見物を済ませる味気ない世とはなったが(後略)」それに比べ、二ノ丸の濠ぞいの桜は絢爛豪華(けんらんごうか)だった、と語る。
この二ノ丸は鶴岡公園、面立川は赤川をイメージしていることは言うまでもない。この『花のあと』の老女(以都女)は女だてらに剣の達人である。若いころ、一度だけ試合をして敗れた男を恋い慕うが、身分違いのためきっぱりあきらめて、今の夫を婿に迎える。その初恋の相手が罠にはめられ切腹したことを耳にした以都女は、密かに仇討ちを果たしてやる、という筋である。桜の美しさとはいささか不似合いな殺伐とした話のようにみえるが、二ノ丸の桜の生命の短さ、はかなさを、女の花のときの短さに重ね、しみじみとした情感を味わわせる名作である。この作品の中の桜の描写で、藤沢さんならではの名文があるので引用したい。
「水面にかぶさるようにのびているたっぷりした花に、傾いた日射しがさしかけている。その花を、水面にくだける反射光が裏側からも照らしているので、花は光の渦にもまれるように、まぶしく照りかがやいていた。」
小説を通して新しい目が開かれる、とはこのことだろう。お濠の水面からも光があたって輝く桜を見るのが今年は楽しみだ。