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藤沢周平書籍作品あれこれ

海の幸(1)

海坂藩の原点である庄内も海が近い

「海坂藩」は三方を山に囲まれていて、残りの一方には海が開けている。その海が近いので、港町から朝とれた新鮮な魚が城下に届く。『三屋清左衛門残日録』に登場する小料理屋「涌井」で出される魚の料理が、この小説に彩りを与えていることは周知のことである。例えば「まだ脚を動かしている蟹」は味噌(みそ)汁で食べ、「クチボソと呼ばれるマガレイ」は焼き、「ハタハタ」は田楽にする。清左衛門が風邪で寝込むと、嫁の里江が「カナガシラ」を味噌汁にして食べさせるなどなどである。海坂藩は海の幸にも恵まれた城下として藤沢さんは描いている。

藤沢さんの子供時代、浜からアバたちが運んで来てくれる魚が村の人たちの食卓を賑(にぎ)わした。エッセイ集『ふるさとへ廻る六部は』にも次のように当時の様子が描かれている。

「…威勢のいい浜の女子衆(おなごしょ)が、荷を担(かつ)いで魚を売りに来たこともあったし、また年に何回か、時期を決めて筋子とか塩引きの鮭、干鱈(ひだら)・身欠き鰊(にしん)・昆布などの塩干物を背負って来るオバサンもいた。」

この女子衆は早朝、港から大きい荷を担いで鶴岡の城下や郊外の村々をまわって、魚を届けてくれた働き者のオバサンたちである。概して明るく、男勝りな感じの人が多く、いかにも浜育ちのイメージをもっていた。そのたくましさは、働いて一家を支えている女性の自信に裏打ちされてもいる。とりわけ戦中戦後の食糧難のころ、彼女たちが農家で、魚と引き換えに得る米や野菜は漁村を救ったことだろう。

「海の幸(2)」へつづく

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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