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藤沢周平書籍作品あれこれ

藤沢周平没後十年に想う

没後10年を数えた故藤沢周平さん。彼の残した作品は今なお多くのファンに愛されている

平成9年の1月26日に藤沢周平さんが亡くなられて、今年は十年目を迎える。もう十年もたってしまったのか、というのが最も正直な感想である。ずっと藤沢作品に親しく接してきた私自身も、鶴岡藤沢周平文学愛好会のみんなも、藤沢さんは常に身近な存在だったから、もう現実には会えない方だというふうに思えないできたからであろう。もちろん、新しい作品に接する機会は二度とないのだ、というさびしさは、ことにつけ話題になったけれども。

ところが昨年、未刊行の短編が14作も見つかり、秋には一冊にまとめられた(文藝春秋社より)。まだ読んだことのない作品を私たちは驚きとともに手にしたのであった。これらの作品は昭和37年から39年までに某雑誌に掲載されたもので、藤沢さんが35歳ごろの作品なのである。後の円熟期の時代小説と比べると、若さを強く感じられる点が多く、一人の作家が辿(たど)る道筋が見えるようである。しかも14作のうちの半分までが庄内の歴史から題材を得たものであったことも驚きであった。藤沢周平のペンネームが既に用いられ、時代小説作家として歩き出す、そのスタート点が見えるようだった。舞台として描かれる庄内は、北は鳥海山から南は鼠ケ関や小国、木野俣、あるいは朝日連峰の山あいまでと庄内一円が登場する。愛好会では、1月21日の「寒梅忌」に並行して「こころの絆展」を催すが、その展示の一部に、庄内の地がどの作品にどんなふうに出てくるかを図示する予定である。

またこの7編は時代も多彩にわたっていて戦国時代から江戸時代後期までの庄内が登場している。今はほとんど見ることができない「まっかせろ踊り」のことや「木地師」の仕事などの貴重な発掘もある。このように庄内の歴史を丹念に調べ、小説という形にして書き遺しておいてくれたことはとても意義深い。やがて「海坂藩」という架空の藩に移行してゆく過程も見えてきて、この未刊行作品の公開は意義深いものがある。例えば「忍者失格」に登場する「草」と呼ばれる忍びの集団は『蜜謀』の「与板の草」の下地になっているとか、「上位討」が後の『長門守の陰謀』や『ただ一撃』につながっているなどの発見もあり、興味は尽きない。

また、藤沢さんの愛娘である遠藤展子さんの『藤沢周平―父の周辺』が出版されたことも昨年の大きな話題を呼んだ。ここには作家の日常生活が描かれていて、人間・藤沢周平が、また小菅家の家族の姿が浮かんでくる。父として母としての愛情や、質素な暮らしを旨とする生き方など、作品を通して感じる藤沢さんとその家族の温もりが伝わってくるすばらしいエッセーだった。

仙台文学館で催された「藤沢周平の世界展」も良かった。館の予想をはるかに超えた多くの人が訪れたという。展子さんの描く父としての藤沢さんとも重なって、その人柄にいっそう魅かれた人が多いことだろう。数々の遺品を眺めていると、書くことに心血を注いだ作家としての厳しい姿勢も垣間見ることができた。

そして『盲目剣谺返し』の原作を基に、映画「武士の一分」が昨年暮れから上映されている。出版社による関連本も数々送り出され読むのに忙しい日々である。今年没後十年ということで企画される行事も多いようである。

映画や本や行事をきっかけに藤沢さんの愛読者が増えているのはとてもうれしい。若い人たちも熱心に読んでいる人が増えてきている。しかし、一方で原作はあまり読んでいないけれど…という人も意外に多い。映画や関連の書なども、各種の行事にしても、原作を読めばその楽しみ方は倍増するはずである。今年は藤沢周平文学記念館も着工されるという。作者の人柄や、海坂藩の風が感じられるような記念館ができることを願いたい。ここに訪ねてくる人々が見終わった後に、心に温もりを抱けるような雰囲気がほしいと思う。

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
(荘内日報本紙 平成19年新春特集号に掲載されたものです。)
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