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藤沢周平映画作品あれこれ

「隠し剣 鬼の爪」庄内ロケ風景11

ビデオ撮りを見る山田洋次監督(松竹提供)

いかにも心安らかな夕日が沈むころ、桜の開花は加速度がつき、鶴岡公園は白い花びらで埋まった。

ロケ隊も

「花見をしよう」

と、提案が持ち上がった。たまたまその朝に新聞を見ていた山田洋次監督は香港映画祭で「たそがれ清兵衛」が、賞をとったことを知った。

ロケ地にいたスタッフの誰もが知らず、当の監督に言われて一同ざわめいた。松竹の本社にはニュースが入っているはずなのに、わずか5,600キロ離れた地に届いていない。すぐに問い合わせたところ

「メールで送っておきました」

というのが担当者の返事であった。手が離せない、撮影中をおもんぱかり、わずらわせないための気遣いだったのかもしれないが、監督は別な反応を示した。なぜ電話1本できないんだろう。

「言葉を交わし、喜びを伝え合う。電話ならば良かったね。ありがとう」

そんなやりとりができたのに、メールは一方的である。まして対象になった映画のロケ先にいる分かちがたい境地なのに、共に喜び合えないのは心寂しい。言葉を交わせばそれぞれの思い入れを語ることができるし、さまざまな感慨を呼び戻すことができる。お知らせ版で情報を伝えるのとは、わけが違うのだ。

「人と人とがね、話し合うのはメールにはないものですからね」

監督の言わんとする事柄は山田組が大事にしてきたエッセンスで、そう怒りつつ、時代の流れは

「これからどんどんメールの方へ移っていくのでしょうね」

と、食い止められない現実を監督なりに分析していた。寅さんシリーズを48本撮り、渥美清さんという名優を亡くしたと同時にどんどん世の中が変わり果てるのを見るにつけ、変わらぬ寅さんのイメージにこだわった。ファッションも気持ちも変わらない寅さんの貌(かお)は弁当箱のような特徴を一貫して持ち続け、例えばセリフ1つにもこんな場面があった。

「労働者っていうのはこんなうまいメシをいつも食っているんだよな」

いつでもどこでもただごとの健全さを発見して、寅さんは言葉にしてくれた。われわれが日ごろ忘れかけている何気ない真実と現実を寅さん流に言えば、他の人になくて

「おれにあるのはヒマなんだよな」

と、いうことになる。

忙しい人が増え続け、忙しくなければ生きている甲斐がないようなスピードと多忙は新しい価値を生み、皆が皆走り出した。

「寅さんシリーズでトラは1度も新幹線に乗らなかったんですよ」

そんなに早く着いて、高い料金をとられるのはおかしいじゃないか、ゆっくり時間をかけて周辺の景色を楽しみ、電車への滞在時間が長いほど値打ちがある、と寅さんは考えた。世間の価値観とまったく違う生き方と考え方が、しかも人々に受けた。声高に持論をぶつけるのではなく、ただ人の小さな幸せを探し求めた。

ひとり浮き浮きと楽しみ、いい気分になり、時によっては鼻歌のでそうなそんな人の心をとらえて離さない。他人に合わせるのではなく自分なりの「いいじゃないか」といった各人各様の思い入れこそが個人の喜びである。変わり者といわれようが片桐宗蔵にはそんな役を、監督は振り当てたのである。

(筆者・水戸部浩子論説委員)
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