山田洋次監督の初の時代劇、藤沢周平作品の初の映画化ということで話題を呼んだ映画「たそがれ清兵衛」。この映画の原作となったのは「たそがれ清兵衛」「祝(ほ)い人助八」「竹光始末」の3つの短編である。今回はこのうちの「竹光始末」について述べてみたい。
冒頭に「海坂(うなさか)藩」のお城の描写がある。直木賞受賞作の「暗殺の年輪」と比べるとかなり具体的である。
「海坂藩のお城は、正面口にあたる城壁の下を水深の深い川が横切り、そのまま濠(ほり)の役目をしている」
と説明があり、続いて「城の周囲には十二の木戸が配られている」「木戸内は三ノ曲(くる)輪(わ)で」、その奥に二ノ丸、本丸があり、城や各倉など種々の建物があるし、家中屋敷も並んでいる、など細々と説明している。木戸には番士がいて出入りする武士や町人などの身分を確かめている。鶴ケ岡城の場合も、内川を外濠の一部とし、木戸は十一、三ノ丸には広大な家中屋敷や、七ツ蔵の並ぶ地があったことを思いながら読むと、海坂藩が身近に感じられよう。
さて、この物語の主人公は、小黒丹十郎という浪人で、妻と2人の幼い娘を連れて長旅の末、今ようやく海坂城の正面口木戸にたどり着いたのである。その4人の風体のあまりのみずぼらしさに木戸番は思わず咎(とが)める。小黒丹十郎は、三ノ丸に邸のある海坂藩士・柘植八郎左衛門宛(あて)の周旋状を持っていて、海坂藩に仕官を望んでいる、という。時代は江戸の初期、寛永4、5年ごろに設定されている。海坂藩でも道や川の補修をしたり、城下の整備に追われている。まだ関ケ原や大坂冬・夏の陣の戦の体験も生々しく残っている武士も多くいたころの話である。
小黒丹十郎は実に不運な男である。やっと訪ねた柘植八郎左衛門は支城の海音寺城に出向き、4、5日戻らないという。海坂藩には支城があって、それは城下から西北に10里ほど行った海辺の町甲沼にある。小黒は若いころ徳川譜代大名の平岩主計頭に仕えていて180石の禄を頂いていた。平岩家が断絶した後、3年間にわたり浪人をしたが、越前松平忠直の重臣である吉田修理亮に仕え、30石を頂いた。
「竹光始末(2)」へつづく