「小鶴(1)」 からのつづき
神名吉左衛門も五間川の石垣に異常がないか、見回りに来たのである。もう秋で、橋の上からは黄色に実ってきた稲田が見えた。吉左衛門は仕事熱心、働き者である。その仕事が終わって薄暗くなりかけた橋の上にずっと立っている娘を不審に思い声をかけたのであった。身元不明のこの娘を世話しているうちに神名家には穏やかで幸せな時間が流れるようになる。この娘は躾(しつけ)の行き届いた家の娘らしく、働き者でやさしく、美しい娘だった。喧嘩の絶えなかった夫婦が娘をはさんで、仲むつまじく会話するようになる。ただ一度だけ、娘の前で口喧嘩をしたことがあった。その時、この娘が異様に脅(おび)えて泣いたことから、この夫婦はいさかいを避けるようになったのである。
天から授かった宝物のような娘に、ある日突然、迎えがやってくる。この娘は小鶴という名ではなかった。本当の名前や、心を病むこととなった原因を知らされた老夫婦は悲痛な思いに捉(とら)われる。小説を読む楽しみを奪うといけないので、この娘を襲った衝撃の内容はあえて述べないことにするが、心を病み、自分が誰かさえ思い出せない状態になったのである。その娘は隣国からやって来た。迎えに来た1人はその娘の許婚(いいなづけ)で、娘を探しながら江戸までも行って来た男だった。吉左衛門がその若い武士にこう言う。
「お気づきか。光穂というのかの、あの娘。じつは正気を失っておる」
昔のことも思い出せないようだと訴えると、その若者はその娘は自分の身におきたことを思い出したくなかったからだろう、と言う。隣国の、誰も知らない地へたどり着き、吉左衛門に助けられて、懇(ねんご)ろに世話をされているうちに元気を取り戻したのであろう。身元が判(わか)れば、娘を返さねばなるまい。迎えの2人の男を前に再び虚ろな表情となり、口もきかなくなった娘を思い、吉左衛門は思わず呟(つぶや)く。
「あの娘は、ここでは至極ほがらかに暮らしておった」
すると、この若者が次のように言った。
「それは、この家では自分のしたことを忘れて暮らせたからでござりましょうな、しかしそれは真実癒えたことにはならんのではござりますまいか。光穂は苦しんで、自ら癒えるほかはないと存じます」
苦しい現実から逃れようと深い闇に自らを閉じ込めてしまった娘を元に戻すには「気長な養生」と「自ら苦しんで癒える」力を信じる周囲の愛情だと、作者の藤沢さんは教えてくれている。心の病に陥る人の多い現代にも示唆を与えている。