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藤沢周平書籍作品あれこれ

偉丈夫(2)

「偉丈夫(1)」 からのつづき

「眺海の森」から酒田市松山地区を見下ろす

偉丈夫は、「小説新潮」の平成8年1月号に発表され、平成10年の1月に単行本『静かな木』に収められ、新潮社から出版された。『静かな木』には、この作品「偉丈夫」と「岡安家の犬」、そして「静かな木」の3編しか収められていない。藤沢周平さんが亡くなられたのが平成9年1月26日。『静かな木』は没後に出版された。本の帯に「さようなら海坂藩」という言葉が書いてあって、手にとるたびに寂しい気持ちになる。本の表題にもなっている「静かな木」はやや長めだが、あとの2作はごく短い。文字通り、遺作短編集である。

「偉丈夫」は、支藩に生きる武士が主人公という珍しい設定である。海上藩という名前も初めての登場ではないだろうか。海坂藩の物語の途中に、支藩のことが出てくる場合はしばしばある。たとえば、『三屋清左衛門残日録』の「白い顔」の章には、支藩の「松原藩」という名で出てくる。若いころの清左衛門が公命で使いに行く話である。その帰り道に支藩との国境にあたる籾摺川という大きい川を渡り、湊町の塩崎の茶屋で一休みするのである。塩崎は商人の町でにぎわっている、と様子が語られている。この清左衛門が行った松原藩は、荘内藩の支藩の松山藩とイメージが重なり、大きい川とは最上川、湊町は酒田というふうに読んで楽しめる。「偉丈夫」の場合は、国境は、低い丘陵のような山、とある。そして石高は1万石。海坂藩の始祖である政慶公が二男の仲次郎光成をかわいがり、本藩から1万石を削って与えた、としている。漆の木の山を多く与えたのも、山地が多い領土で貧しい暮らしになるのを憐(あわ)れんだからなのである。「松山藩」と少しイメージが違うかもしれないが、荘内藩と重なる海坂藩、その支藩で100年以上続いている支藩、と書いてあるので、やっぱり松山藩と重ねて読みたい。

また、漆の実から蝋を採り、蝋燭や鬢(びん)付け、膏薬(こうやく)などの原料として売られるため、漆の木の植樹をさせる話としては、遺作の長編『漆の実のみのる国』がある。今では和蝋燭の原料にも使われなくなった漆の実。紅葉の終わった冬枯れの梢(こずえ)にその実はカラカラと風に鳴るばかりである。

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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