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藤沢周平書籍作品あれこれ

偉丈夫(1)

「海上藩」は松山藩とイメージが重なる=酒田市の松山城大手門

この物語の舞台は、海坂(うなさか)藩の支藩である「海上(うなかみ)藩」である。わずか1万石の支藩は、山地の多い土地柄でもあり、本藩の海坂藩が肥沃(ひよく)な稲田を持っているのに対し、いささか貧しい。しかし、本藩との境界にあたる山には漆の木が多く、漆蝋(うるしろう)を作って商人に売り、藩庫を支えていた。そのことが、本藩との境界線争いを引き起こすことになる。

品質の良い蝋が多く採れる漆の木がある山を少しでも自藩の方に取り戻そうと、本藩の海坂藩は考えた。この漆の木の山は、3分の1が本藩側に、3分の2は支藩側になるように境界線が引かれているので、支藩側にだけ有利になっている、という言い分だった。せめて山を半々にしてほしい、という要求を毎年言い続けている。実際は、海上藩の郷方(ごうかた)役人の羽賀兵助という人が、長年にわたって漆の木の品質を改良したり、製蝋法を改善したりして良質の製品を作り出すのに成功したからであった。その事実が判明してからは、本藩の掛け合いには迫力がやや欠けるようになったが、100年たった今も毎年1回、双方から代表が出て国境論争をすることになっている。本藩では、運良く(?)論負けした支藩が山を譲ればしめたもの、と考えている。一方、支藩の方は必死である。重要な現金収入である漆の木を1本でも取られたくないからである。そのため、毎年、熟練の弁士を送って論破し、今までことなきを得ていた。

ところが、今年、その熟練の弁士が急病で倒れたため、急きょ代役を立てることになった。その代役を務めることになるのが、この物語の主人公、片桐権兵衛である。「偉丈夫」という題はこの権兵衛に与えられた形容のことである。物語の冒頭に次のように書かれている。

「片桐権兵衛を偉丈夫と形容しても、それに異議をとなえるものは藩中に、まず1人もおるまいと思われる。6尺に近い巨躯(きょく)、鼻はしっかりとあぐらをかき、口はつねにしっかりと結ばれている。そして寡黙」

ところが、見かけは偉丈夫なのに、この男は小心者なのであった。若いころは居合いの達人とも評されたし、何しろ人を圧する巨躯でもあるので、誰もがその本性をうかがい知ることができなかった。ただ1人、妻女だけが、気の小さい夫であることを知っていた。「馬のような体躯に蚤(のみ)の心臓をそなえる小心者」の夫が、そんな大役を仰せつかるとは、と妻女も青くなる。この権兵衛、実は片桐家の婿である。義父の死後はその仕事を引き継いで右筆(ゆうひつ)役という、体に似合わない役に就いた。しかし、40代半ばになった今は、片桐家の主人として家を守っており、2人の男児も優秀で、藩校における成績も上々である。平和な家庭像が浮かんでくる。その家庭に突然降りかかった災厄が、この任務というわけである。並外れた寡黙、つまりは口べたであるのに加え、小心者の権兵衛に丁々発止の論戦ができようか。どうやって本藩の使いを言い負かしたか。意外な展開とユーモアが楽しめる作品である。

「偉丈夫(2)」へつづく

(筆者・松田静子/鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
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